造船所において約20年間に渡り配管工として働いたAさんは、昭和60年に肺がんで亡くなられました。死亡当時59歳でした。
アスベストが社会問題化し、2006年3月に石綿被害者救済法が制定された際に、造船所で働いていた時の同僚が、Aさんのご家族に申請の手続きをすすめたのでした。そこでAさんのご家族は、入院していた病院を次々と訪れたのですが、20年以上の前の事ですから、どの病院にもカルテもレントゲンフイルムも残っていませんでした。それでもAさんは、同僚の方々の話しを頼りに、2008年1月に岡山労働基準監督署へ石綿新法による申請を行ったのでした。
岡山労基署の調査では、Aさんが約20年間に渡り石綿に曝露する作業に従事していたことが確認されましたが、診療録などの資料は保存年限経過のため全て廃棄されていることも確認されたのでした。こうした場合の対応について、厚労省の「石綿による疾病事案の事務処理に関する質疑応答集」には以下のように記載されています。
医療機関に診療録等の医証が全くない場合は、石綿にばく露したことを示す医学的所見の存在が確認できないことから、不支給決定を行うことになる。
なお、過去に同一事業場で、同一時期に同一作業に従事した同僚労働者が労災認定されている場合や、相当高濃度の石綿ばく露作業が認められる場合には、本省あて相談されたい。
岡山労基署は、Aさんが働いていた事業所において過去に多くの労働者が労災法及び救済法により認定されているため、本省あてに協議依頼をおこなったのでした。その結果、「石綿ばく露作業時期及び作業内容から判断すると高度の石綿ばくろを受けたものと認められ業務上と判断されたい」との回答があり、2008年8月に特別遺族一時金の支給が決定したのでした。
亡くなられて既に5年が経過し、労災保険での時効を迎えてしまった方が特別遺族年金(一時金)の対象となります。しかし、亡くなられて5年が経過すると、病院がカルテやフイルムを保存しておく必要がなくなり、医学的資料が廃棄されてしまいます(最近ではマイクロフイルムで保存する医療機関が増えています)。そのため、「医学的資料がないから」との理由で、救済されない方が続出していました。
今回のように、医学的資料が全くなく、しかも20年以上も前の肺がんが、同一事業場での労災認定事例や石綿曝露作業の内容に基づき認定される事例は極めて稀です。「昔の事だから…」「資料が残っていないから…」と諦めていた方は、ぜひ安全センターへご相談下さい。
ひょうご労働安全衛生センター
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