東尾守人さんは、昭和32年から昭和34年までの約2年間、三菱重工長崎造船所の構内下請けである丸菱商会の下請の川口親方という個人事業主の元、船内作業に従事しました。東尾さんは、悪性胸膜中皮腫との診断を受け、労災申請を行ったのですが「石綿ばく露作業が認められない」との理由で不支給処分が通知されました。
長崎署への申請にあたり、三菱重工長崎造船所内で東尾さんを見かけたというHさんの存在を担当官に伝えました。Hさんは幼い頃、東尾さんの家の近くに住んでおり、学校を卒業後に三菱長崎重工の下請け会社で働いていた時期がありました。Hさんは、造船所内で東尾さんを見かけたことが何度かあり、その際に「挨拶をしたり、会話をした」と証言してくれました。また、Hさんは造船所内で撮影した写真や、当時使用していたバスの回数券を保管されていました。長崎署の聞き取りの際に、Hさんはこうした資料を示したのですが、担当官はそうした資料を全く採用しませんでした。
審査請求にあたり、Hさんが保管されていた資料を新たな証拠として提出しました。また、川口親方が住んでいた近隣の方からの証言を得て、川口親方の存在と三菱長崎造船所に人を連れて働きに行っていた事実を明らかにしました。そして、川口親方に誘われ、東尾さんと一緒に造船所で働いていた方のご遺族の証言も証拠として提出しました。
そうした結果、審査官は10月9日付けで「処分を取り消す。」との決定を行ったのでした。審査官は、川口親方の存在を認めたうえで、Hさんの証言や川口親方のもとで一緒に働いていた方のご遺族の証言を採用し、労災であるとの判断を行ったのでした。
こうした資料は、長崎署の段階で証拠を採用することができたのであり、調査の不備が審査官により明らかとなったのでした。同じ会社で働いていた方ではなくとも、石綿曝露作業を証言する方の聞き取りを基に業務上と判断をした意義は大きく、潜伏期間が長い石綿関連疾患の被害者の救済に大きな道を開いたといえます。
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