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労災事故・障害補償・審査請求

印刷機のメンテナンス作業で中皮腫を発症 審査請求で逆転認定

2014/09/20
◆概要

中皮腫を発症し、労災申請を行ったが茨木労働基準監督署により不支給決定処分が下されたNさん。Nさんは大手インク製造会社に勤務し塗料製造に従事、退社後の127月に悪性胸膜中皮腫を発症した。当初、原料の一つであるタルクが原因かも、と相談に来られたのである。労災申請を行ったが結果は不支給であった。その後Nさんの職歴を洗い直し、インク製造会社の子会社である印刷機会社での業務が原因ではないかと追及して審査請求を行い、認められたケースについて報告する。


◆タルクが原因か?

「インターネットとかで検索すると1年、長くて3年と書いてますから、不安です。」茨木労働基準監督署へ労災申請に向かう道すがら、ふとNさんは漏らした。52歳、妻と子ども3人。中皮腫を抱えた身体。私は何も答えられず、うつむいたままで一緒に歩く。

Nさんが相談にやって来たのは128月のことであった。その年の春ごろから咳き込むようになり、近所の病院では「手に負えないから」と県立病院に転院しすぐに中皮腫と診断されて手術を受けた。

Nさんは98年までの4年間、大手インク製造会社で塗料の製造に携わっていた。塗料の原料は顔料とよばれる鉱物であり、その中には粘着性を保つためにタルクが使用されていたのである。手術後、Nさんはタルクに石綿が混じっていることをインターネットで調べ、「もしかすると」と思い労災を疑うようになり、相談に来られたのである。

Nさんは、原料であるタルクについてM社から購入したものであることを覚えていた。この会社は06年まで石綿が混在したタルクを製造しており、労働局から摘発を受けていたのである。Nさんは素手で、しかもマスク無しに毎日このタルクを扱っていた。労災申請を手伝った私も、「このタルクで間違いない」と確信していた。


◆基準以下の含有率

労災申請の相談を終え、Nさんと私はかつてNさんが勤めていたインク工場へ向かった。労災申請のための事業主証明印をお願いするためである。守衛に事情を話すと、直ぐに工場の総務担当者と取り次いで応接室に案内された。正直言ってこちらは門前払いを覚悟していたくらいで何の準備も無かったが、若い担当者はこちらの話を聞き、直ぐに対応しますと応えてくれた。そしてもう一人、Nさんの同僚であるHさんにも引き合わせてくれた。Nさんがインク工場で勤務する前の子会社から一緒で、同じ仕事をずっとやってきた方である。二人は懐かしそうに握手していた。このHさんの証言が後の審査請求で逆転認定につながるとはこの段階では思いも浮かばなかった。

この工場はあと1ヵ月で閉鎖されるという。Nさんは、「最後に来れて良かった」と呟く。最後だなんて…、やはりうつむくしかなかった。会社の協力もあり、事業主証明印はすんなりともらえて申請を行った。が、総務担当者は「こちらとしても出来る限り調査してみたのですが、当時のタルクに石綿が入っていないことが判明しています。これでは難しいのではないかと思います」と成分表をFAXしてくれた。アスベスト含有率も当時の基準である「0.1wt%以下」となっている。背中に冷たい汗が走った。


◆「くれぐれも頼みます」

実はNさんは、インク製造に従事する前の15年間、子会社で印刷機械の据付業務を行っていた。大型印刷機の場合は石綿などの埃が飛散する工場の屋根裏などに上り作業をしていたのである。申請に当たってはもちろん、自身のばく露経歴として「吹付アスベストの有る倉庫や工場で仕事をしていた」と記載し、期間としても通算すると1年以上ある、と提出していた。そのため、中皮腫であり、塗料に例え0.1wt%以内でも石綿が使用され、しかもその前に建設業のような業務に従事していたので認められるのではないか、と簡単に考えていたのである。

しかし、なかなか決定が下りない。やきもきしていた13年春、苦しそうな声でNさんから「塗料のタルクでは認定が困難なので、子会社時代のばく露を話してくれる同僚のWさんの証言が必要だと監督署から言われた」と電話があった。すぐさまインク会社にWさんを探してもらい、監督署が聴取したものの、13524日、不支給処分が下された。

今後のことを相談するため、重い足取りで入院先の病院に向かう。Nさんの家族によれば4月ごろは何とか一緒に花見をしたものの、5月になって急激に悪化し再入院したのだという。このとき安全センターから、「タルクではまず認定が難しい。設置作業でのばく露も、本当に石綿があったのかどうか証明が困難である。Nさんの仕事はメンテナンスが主だったから、印刷機に含まれていたのかどうか確認すべきだ」と言うアドバイスを受けていた。

このことを妻のS子さんを通じてNさんに伝え、病院へ向かったのである。Nさんはベッドから起き上がれない。紙とペンを求められた。震える手でNさんは機械の構造を書き、一つずつ説明してくれた。しかし素人の悲しさ、機械が分からない。聞き取るのが精一杯であった。途方にくれる私にNさんは「くれぐれもお願いします」と。あとは娘さんの介抱を受けている姿しか覚えていない。その数日後の1369日、Nさんは息を引き取った。


◆「一番キツい仕事をしていた」

13620日、審査請求。ここからが本番である。新たな資料を提出しなければならないからだ。復命書の開示請求では、個人情報の部分は黒塗りされている。監督署が追加で聞き取ったWさんの聴取書も全て真っ黒。そのため、忙しいWさんに頼み込み、Wさん自身の資料を開示請求してもらったのである。

一方、安全センターには、印刷機に石綿が使用されていたか否かを確認する作業をしてもらった。印刷機は外国製で、日本法人への照会である。こうして決め手の資料を欠いたまま年末を迎える。

ようやくあの閉鎖前の工場でお会いしたHさんとの面談がインク会社を通じて実現した。Hさんによれば、Nさんは一番キツい仕事をしており、「大型の機械は持って帰れないからその場で修理することがあった、印刷を止めるためのブレーキを制御する電子装置は故障が多く、Nさんの専門分野外であるものの、本社に電話で指示を仰ぎながら真っ黒になって機械の下に潜り込んで作業をしていた」と証言してくれたのである。

また印刷機の心臓部である電気モーターはメンテンスが必要なため、大型機械であるならば一旦取り外して代替モーターを取付けて会社に持ち帰り汚れを落とす作業をしていた。その接合部分はパッキンが使用されており、Nさんらは34時間かけてこれをはがす作業をしていた。もちろんマスクなどしていない。パッキン部分に石綿が使用されていた可能性は十分考えられる。

その直後、印刷機会社からも回答があった。そこには「当時の機械のブレーキパッドに石綿を使用していました」と記載されていたのである。モーターの汚れの中に石綿が含まれていた可能性が高い。これらHさんの陳述書と印刷機械会社の回答書を沿えて新資料を提出できたのは130日のことであった。無事に逆転認定を受けたのはさらに半年後の148月。最初にNさんが相談に来られて実に2年の歳月が過ぎていた。

今回、自省も込めて言うが、認定の困難な申請の場合は徹底して調べるべきであることを痛感した。当時も「それなりに」徹底していたつもりだったかもしれない。が、ありとあらゆる可能性を追求しなければ認定にはつながらない。調べることが業務のはずの労基署の調査が今回もまたお座なりであった。つまり申請する側が資料を徹底して揃えなければ認められないという現実が続く限り、この闘いは続く。労災の認定業務に携わる者として、今一度気を引き締めなければならないと感じたのである。