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石綿肺がん訴訟 石綿小体2,551本 係争中に一転、労災認定

2013/12/20
◆経過

石綿肺がんの労災不支給処分の取り消しを求め争ってきたK裁判ですが、神戸東労基署が一転、不支給処分を取り消し特別遺族年金の支給決定を行った。係争中に労災認定されることは異例。労災認定は、1115日付けで行われた。


◆概要

港湾荷役において積み荷の数量や状態を確認し証明する検数業務に、約34年間従事したKさんは、20017月に肺がんで亡くなられました。54歳でした。2006年に「石綿による健康被害の救済に関する法律」が施行された後、2008年(平成20年)121日、Kさんのご遺族は神戸東労働基準監督署に特別遺族年金の申請を行いました。ところが、神戸東署は2010(平成22)年17日に不支給処分を決定しました。

そこで、処分の不服を申し立てましたが兵庫労働者災害補償保険審査官は2010427日に審査請求を棄却しました。その理由は、「胸膜プラークの所見が認められず、石綿小体数及び石綿繊維数も認定基準を満たさない」ということでした。肺内からは石綿小体数が2,551本検出されたのですが、本数が少ないということです。

そのため、610日付けで労働保険審査会に対して再審査請求を行ったのですが、3ヵ月が経過しても裁決がなされないため、20109月に神戸地裁へ不支給処分の取り消しを求めて提訴したのでした。


◆理由は「新たな事実が判明した」

この間、石綿肺がんの労災不支給処分の取り消しを求め、全国各地で裁判が行われてきました。そうした中、本年2月に大阪高裁においてH裁判(石綿小体741本)の判決が、本年6月には東京高裁においてKO裁判(石綿小体1,100本)の判決が言い渡され、両裁判とも労災の不支給処分を取り消す判決が出され、確定しました。Kさんと同じ作業に従事したHさんの裁判が確定したことで、裁判所がどの様な判断を行うのかが注目されていました。10月に証人調べも終わり、12月には最終の裁判期日が設定されていたのですが、神戸東署は急きょ1115日付けで労災と認める通知書をご遺族に交付しました。その理由は、「新たな事実が判明し、総合的に判断した結果」とのことです。


◆相当程度の石綿ばく露が推定できる

神戸港は日本でも有数の石綿を荷揚げする港でした。日本の石綿輸入量は、最大が1976年の325千トン(年間)でしたが、その内、神戸港に荷揚げされた石綿は128千トンでした。実に、日本の全輸入量の約40%を神戸港が占めていました。

石綿が入った袋は、神戸港に着くまでに手カギをかけて運ばれ、また輸送中の荷崩れによって破損するなど、石綿粉じんが大量に発生し飛散する状態でした。さらに、その袋を荷役作業員が手カギを用いて艀に移す作業を行うのですが、検数作業はその傍らで行うため大量の石綿粉じんをばく露することになりました。今回の労災の支給決定にあたり調査した結果、神戸東署は提訴後の訴訟の過程において明らかとなった事実を総合的に判断したとしています。

まず、Kさんが、海上での検数作業に従事していたこと。次に、船倉内での検数作業は、手カギを用いて運ぶ荷役作業のすぐ近くでの作業であり、相当程度の石綿ばく露があったと推定できる。そして、Kさんが作業に従事していた時期に海上検数作業に従事していた同僚労働者が新たに石綿による肺がんと労災認定されたことが上げられています。

しかし、港湾の荷役作業や検数業務の労働実態を知っている者からすれば、なにも新たに分かった事実は何もなく、原処分庁の調査不足が明らかになっただけのことです。


◆救済されない石綿肺がん

世界の医学会では、石綿による中皮腫1に対して石綿による肺がんはその2倍であるというのがコンセンサスとなっています。アスベスト問題が社会問題化する中で、中皮腫の患者・家族への救済は進んでいますが、日本における石綿肺がんの患者・家族の救済は中皮腫の半分以下というのが現状です。

2012年度の中皮腫の労災認定者数は522人でしたが、肺がんの認定者数は402人に留まっています。2011年度も中皮腫544人に対して肺がん400人という状況で、中皮腫の労災認定者数よりも肺がんの認定者数が少ない傾向がこの数年続いています。それは、労災の認定基準が大きく影響しており、その一つである石綿小体の本数について、数字のみで判断しばく露状況等を総合的に判断していない事によると考えます。

今回、Kさんの請求が認められたことにより、大阪・東京高裁の判決に続き、石綿肺がんの労災認定基準の一つである石綿小体の本数をめぐる議論は、石綿にばく露する作業実態を重視する方向へと切り替わったと考えたいものです。