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アスベスト・中皮腫・肺がん・じん肺
港湾石綿被災者救済制度 初の適用
2013/11/20
◆港湾における石綿被害
日本で使用された約
1,000
万トンのアスベストは、殆どが輸入されたものです。アスベストの輸入量は
1960
年台初めに
10
万トンを超え、
1970
年に
30
万トンに達し、
1974
年に
35
万
2,000
トンの最高を記録しました。
その為、船内や水際で荷役作業に従事した労働者だけでなく、倉庫作業や検数作業に従事した労働者へと被害が拡がっています。厚生労働省が毎年発表している「石綿ばく露作業による労災認定等事業場の公表」を基に、
2005
年から
2011
年までの港湾貨物取扱事業ならびに港湾荷役作業における労災認定者数を数えると、全国で
117
名となっています。港湾関係では、他にも検数・検定労働、倉庫内作業などがあり、これらの作業において石綿ばく露により労災認定を受けた方を加えると
140
名を超えるのではないかと思われます。
◆石綿補償基金の発足
港湾で働き石綿関連疾患として労災認定を受けた方の中には企業補償を求める声もあり、港湾における全国初の石綿損賠訴訟となった三井倉庫事件は、地裁・高裁判決で会社の安全配慮義務違反が認められました。この事件は、会社側が最高裁へ上告したため、現在も争いが続いています。
港湾においては中小企業も多く、石綿健康被害者に企業が補償を行う場合に、一時に多額の支出が必要となり、経営に大きく影響することが想定されます。そのため、港湾運送事業者が港湾石綿対策基金を設立し、
2008
年に
1
億円、
2009
年に
1
億円、
2011
年に
3
億円を積み立て、現在の基金総額は
5
億円となっています。この基金を活用した独自の補償制度をつくることが労使で話し合われてきました。
そして、昨年(
2012
年)の春闘において補償制度の設立が合意に至ったのでした。新しく設けられた港湾石綿被災者救済制度は、日本港運協会(以下、日港協)の会員である事業者が、石綿健康被害者に対して補償を行った場合に、日港協がその一部を会員である事業者に補助を行う制度です。補助金の支給の対象となるのは、港湾運送事業においてアスベストにばく露し、アスベストを原因とする中皮腫・肺がんなどの疾病を発症し労災認定された者となっています。また、日港協が会員に補助金を支給する対象となる行為として、①弁護士が関与した示談、②公的機関による和解・調停・あっせん、③裁判所の確定判決となっています。
◆設立されたが進まぬ補償
港湾石綿被災者救済制度は平成
24
年
6
月
1
日から施行されました。しかし、施行から
1
年以上が経ちますが、まだ
1
例も運用実績が有りません。その原因の一つに、制度についての周知が十分に行われていないことが上げられます。
昨年
12
月には、神戸港で働き石綿関連疾患を発症し労災認定された被害者と遺族
16
名が、神戸簡易裁判所に調停を申し立てました。被害者の方々は「今日も病院で治療を続けている仲間がいる。一日も早い解決を」と訴えられていました。これまで
3
回の調停が行われましたが、企業側は「アスベストにばく露した日数を示すように」等と求め、話し合いが難航しています。
そもそも港湾石綿被災者救済制度は、訴訟ではなく話し合いにより一刻も早い被災者の救済を行うことを目的として制度化されたものです。話し合いで解決できないのであれば、何のために補償制度を設けたのか理解できません。神戸では代理人同士の話し合いが決裂したため、今年
7
月に、中皮腫と診断され労災認定を受けた男性が勤務先の赤沢荷役と元請の篠崎倉庫を相手取り、
3,300
万円の損害賠償を求め神戸地裁に提訴した案件もあります。そのため、「制度は出来たが本当に補償してもらえるの」との声が聞かれはじめていました。
◆門司港における石綿輸入量と労災認定件数
1978
年
10
月、関門港の全港湾労働組合が組合員
173
名の健康診断を行った結果が残っています。このうち、運動器障害の著しい
65
名について二次検診を行い、
29
名については胸部レントゲン撮影を行い、
18
名については肺機能検査が行われました。その結果、
29
名中
14
名(
48.3
%)にじん肺が認められ、
18
名中
13
名(
72.7
%)に肺機能障害が認められたとの結果でした。厚生労働省が毎年発表している「石綿ばく露作業による労災認定等事業場の公表」によると、平成
23
年度までに門司港における石綿労災認定件数は関光汽船の
2
名と門司港運の
1
名の合計
3
名です。関光汽船の
2
名の認定は当センターが支援した方であり、それ以外に
1
名しか居ないというのは、全国の他港に比べ石綿輸入量が少ないとはいえ、余りにも少ないという印象が否めなせん。
◆関港汽船における石綿被害と交渉・合意内容
被災者
A
さんは、
1959
(昭和
34
)年から
1992
(平成
4
)年まで、関光汽船(本社:山口県下関市竹崎町)北九州支店に在籍し、港湾荷役作業員として石綿の運搬作業にも従事しました。
A
さんは、
2010
(平成
22
)年
1
月、病院を受診したところ「肺がん」と診断され、入院・治療を行うも
2010
(平成
22
)年
11
月
20
日に亡くなられました。
A
さんは生前中に労災申請を行い、北九州東労働基準監督署は、胸膜プラーク及び石綿肺の所見が認められるとして、
A
さんが発症した肺がんについて労災であると認定しました。
そして、港湾石綿被災者救済制度が施行された事を受け、
2012
(平成
24
)年
9
月、広島アスベスト弁護団の協力を得て、関光汽船に対して損害賠償請求を行い行いました。その後、代理人同士の交渉が行われ、本年
8
月
13
日付けで合意に至りました。合意した内容は、関光汽船が
A
さんのご遺族に弔慰金
を支払うというものです。
港湾石綿被災者救済制度は、訴訟に訴えることなく当事者間の話し合いで解決を目指制度であり、裁判での判決相当の解決水準を想定していると考えます。今回、制度の趣旨にのっとり、関光汽船が誠実に対応したことは大いに評価できます。そして、港湾作業により石綿関連疾患を発症した多くの労働者に、話し合いで解決できるという道筋が明らかとなったことは大きな意義が有り、今後の補償交渉につながる今回の合意であるといえます。
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日本で使用された約1,000万トンのアスベストは、殆どが輸入されたものです。アスベストの輸入量は1960年台初めに10万トンを超え、1970年に30万トンに達し、1974年に35万2,000トンの最高を記録しました。
その為、船内や水際で荷役作業に従事した労働者だけでなく、倉庫作業や検数作業に従事した労働者へと被害が拡がっています。厚生労働省が毎年発表している「石綿ばく露作業による労災認定等事業場の公表」を基に、2005年から2011年までの港湾貨物取扱事業ならびに港湾荷役作業における労災認定者数を数えると、全国で117名となっています。港湾関係では、他にも検数・検定労働、倉庫内作業などがあり、これらの作業において石綿ばく露により労災認定を受けた方を加えると140名を超えるのではないかと思われます。
◆石綿補償基金の発足
港湾で働き石綿関連疾患として労災認定を受けた方の中には企業補償を求める声もあり、港湾における全国初の石綿損賠訴訟となった三井倉庫事件は、地裁・高裁判決で会社の安全配慮義務違反が認められました。この事件は、会社側が最高裁へ上告したため、現在も争いが続いています。
港湾においては中小企業も多く、石綿健康被害者に企業が補償を行う場合に、一時に多額の支出が必要となり、経営に大きく影響することが想定されます。そのため、港湾運送事業者が港湾石綿対策基金を設立し、2008年に1億円、2009年に1億円、2011年に3億円を積み立て、現在の基金総額は5億円となっています。この基金を活用した独自の補償制度をつくることが労使で話し合われてきました。
そして、昨年(2012年)の春闘において補償制度の設立が合意に至ったのでした。新しく設けられた港湾石綿被災者救済制度は、日本港運協会(以下、日港協)の会員である事業者が、石綿健康被害者に対して補償を行った場合に、日港協がその一部を会員である事業者に補助を行う制度です。補助金の支給の対象となるのは、港湾運送事業においてアスベストにばく露し、アスベストを原因とする中皮腫・肺がんなどの疾病を発症し労災認定された者となっています。また、日港協が会員に補助金を支給する対象となる行為として、①弁護士が関与した示談、②公的機関による和解・調停・あっせん、③裁判所の確定判決となっています。
◆設立されたが進まぬ補償
港湾石綿被災者救済制度は平成24年6月1日から施行されました。しかし、施行から1年以上が経ちますが、まだ1例も運用実績が有りません。その原因の一つに、制度についての周知が十分に行われていないことが上げられます。
昨年12月には、神戸港で働き石綿関連疾患を発症し労災認定された被害者と遺族16名が、神戸簡易裁判所に調停を申し立てました。被害者の方々は「今日も病院で治療を続けている仲間がいる。一日も早い解決を」と訴えられていました。これまで3回の調停が行われましたが、企業側は「アスベストにばく露した日数を示すように」等と求め、話し合いが難航しています。
そもそも港湾石綿被災者救済制度は、訴訟ではなく話し合いにより一刻も早い被災者の救済を行うことを目的として制度化されたものです。話し合いで解決できないのであれば、何のために補償制度を設けたのか理解できません。神戸では代理人同士の話し合いが決裂したため、今年7月に、中皮腫と診断され労災認定を受けた男性が勤務先の赤沢荷役と元請の篠崎倉庫を相手取り、3,300万円の損害賠償を求め神戸地裁に提訴した案件もあります。そのため、「制度は出来たが本当に補償してもらえるの」との声が聞かれはじめていました。
◆門司港における石綿輸入量と労災認定件数
1978年10月、関門港の全港湾労働組合が組合員173名の健康診断を行った結果が残っています。このうち、運動器障害の著しい65名について二次検診を行い、29名については胸部レントゲン撮影を行い、18名については肺機能検査が行われました。その結果、29名中14名(48.3%)にじん肺が認められ、18名中13名(72.7%)に肺機能障害が認められたとの結果でした。厚生労働省が毎年発表している「石綿ばく露作業による労災認定等事業場の公表」によると、平成23年度までに門司港における石綿労災認定件数は関光汽船の2名と門司港運の1名の合計3名です。関光汽船の2名の認定は当センターが支援した方であり、それ以外に1名しか居ないというのは、全国の他港に比べ石綿輸入量が少ないとはいえ、余りにも少ないという印象が否めなせん。
◆関港汽船における石綿被害と交渉・合意内容
被災者Aさんは、1959(昭和34)年から1992(平成4)年まで、関光汽船(本社:山口県下関市竹崎町)北九州支店に在籍し、港湾荷役作業員として石綿の運搬作業にも従事しました。
Aさんは、2010(平成22)年1月、病院を受診したところ「肺がん」と診断され、入院・治療を行うも2010(平成22)年11月20日に亡くなられました。Aさんは生前中に労災申請を行い、北九州東労働基準監督署は、胸膜プラーク及び石綿肺の所見が認められるとして、Aさんが発症した肺がんについて労災であると認定しました。
そして、港湾石綿被災者救済制度が施行された事を受け、2012(平成24)年9月、広島アスベスト弁護団の協力を得て、関光汽船に対して損害賠償請求を行い行いました。その後、代理人同士の交渉が行われ、本年8月13日付けで合意に至りました。合意した内容は、関光汽船がAさんのご遺族に弔慰金を支払うというものです。
港湾石綿被災者救済制度は、訴訟に訴えることなく当事者間の話し合いで解決を目指制度であり、裁判での判決相当の解決水準を想定していると考えます。今回、制度の趣旨にのっとり、関光汽船が誠実に対応したことは大いに評価できます。そして、港湾作業により石綿関連疾患を発症した多くの労働者に、話し合いで解決できるという道筋が明らかとなったことは大きな意義が有り、今後の補償交渉につながる今回の合意であるといえます。