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過労死・過重労働・脳心臓疾患
豊岡市 過労自殺公務災害訴訟 神戸地裁で勝訴判決
2013/08/20
1.はじめに
豊岡市職員過労自殺公務災害認定をめぐる行政訴訟の取り組みについて、神戸地裁において
6
月
25
日に公務外認定を取り消す判決が出ました。翌日には原告、豊岡市職労、自治労県本部、自治労本部により、地方公務員災害補償基金本部に対して大阪高裁への控訴を断念するよう強く要請しましたが、
7
月
8
日に基金本部が控訴したことにより大阪高裁でさらに控訴審が続くことになりました。この神戸地裁での勝利判決は、
2003
年
5
月の公務災害認定を支える会の結成から
10
年を超える取り組みと、多くの関係者の皆さんの物心両面のご支援とご協力による大きな成果であり、公務災害認定を支える会として心よりお礼を申し上げます。
ここでは神戸地裁での原告と被告の主張と争点、判決のポイントについて報告し、詳細は控訴審の勝利により報告したいと考えます。
2.公務災害認定闘争から裁判闘争への経緯
(1)公務災害認定の取り組み経過の概略
2003
年
2
月,地方公務員災害補償基金兵庫県支部長(「基金支部」)に対し,公務災害認定請求をしましたが、
2006
年
1
月
30
日付で公務外認定処分。同年
3
月
28
日、地方公務員災害補償基金兵庫県支部審査会(支部審査会)に審査請求を行いましたが、
2009
年
9
月
30
日付で審査請求棄却。その後,地方公務員災害補償基金審査会(本部審査会)に再審査請求を行いました。
2010
年
9
月
27
日、再審査請求を棄却する裁決書が届きました。
(2)訴訟の当事者
①原告:被災職員である豊岡市職員の妻。被災職員は、
1985
年に採用され、
2002
年
4
月、社会福祉課に着任しましたが、同年
5
月
28
日朝、車の中で一酸化炭素中毒により自殺しました。死亡当時
39
歳。
②被告:地方公務員災害補償基金(処分行政庁:地方公務員災害補償基金兵庫県支部長・井戸敏三)
(3)公務外認定取消しを求める訴訟の提訴
2010
年
10
月
26
日、原告は、神戸地方裁判所に、地方公務員災害補償基金兵庫県支部長が原告に対し
2006
年1月
30
日付で公務外の災害と認定した処分を取り消すことを求める訴訟を提起しました。
3.当事者双方の主張と判決要旨
(1)公務の量的過重性
(
時間外勤務時間
)
について
【被告】
時間外命令簿の
4
月
22
時間、
5
月
14
時間を超えて仕事をしたことを裏付ける成果物などの証拠がない。月
30
時間を超える時間外命令簿も上司との協議により出来る状況にあったにもかかわらず、上記の時間外勤務以上の勤務はしていない。
【原告】
タイムカード、パソコン履歴、手帳の記録などから、
4
月は約
115
時間、
5
月は約
88
時間の時間外勤務をしていた。
30
時間を超える時間外命令簿への記入は、財政難ということもあり、正直には申告できない雰囲気が職場にあった。地域福祉計画担当の前任者も後任者も午後
9
時、
10
時ころまで残業していた事実を証言。
【判決のポイント】
被告の主張はほぼ退け、原告の主張がほぼ全面的に取り入れられた。被災者のタイムカードの退勤時刻の打刻後に、前任者が
4
日ほど被災者のパソコンを使用した時間のみ認めなかったが、それ以外はすべて原告の主張が取り入れられた。うつ病発症が5月
19
日と認定されたことにより、この時点から遡る前1ヵ月目は
103
時間
50
分、前
2
ヵ月目は
107
時間
39
分、前
3
ヵ月目は
5
時間という時間外勤務と認定された。
4
月
15
日から
5
月
4
日までの
20
日間は休みを取らず連続勤務していた。
(2)公務の質的過重性
(
地域福祉計画
)
と公務起因性の有無について
【被告】
前任者からの支援が十分あった。通常業務もひとつひとつ個別に考えれば精神的・肉体的負担になるものではない。
17
年間のキャリアと経験があるから、異動後の引継ぎ業務の経験も豊富にあったし、被災者の職務は、地域福祉計画策定の政策を決定するような重大な責任を負うものではなかった。
【原告】
前任者からの引継ぎ自体も、通常業務も、過重であった。地域福祉計画の策定は
10
月か
11
月までにはほぼ完成形といえるような形での中間報告を策定して市民の意見を聞く、という手順になっていたから、策定までの時間的余裕もなかった。さらに、初めての地域福祉計画策定であったため、ノウハウもなく、イメージがつかめない状況にあった。上司は被災者の職務内容を把握していないばかりか、計画を取りまとめる役割を果たしていなかった。職員が協力しあうという職場の状況ではなく、周りからの支援もなかった。
17
年間のキャリアや経験がそのまま活かせるというものではない。
【判決のポイント】
この部分についても被告の主張を退け、原告の主張が採用された。新評価基準(心理的負荷の強度Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)に照らせば、前任者などの支援があったとしても、「配置転換があった」地域福祉係の通常業務は平均的な心理負荷の強度はⅡである。「新規事業の担当」「達成困難なノルマを課せられた」も心理的負荷の強度はいずれもⅡである。時間外労働にいても「1ヵ月に
80
時間以上の時間外労働を行なった」「2週間以上にわたって連続勤務を行った」はいずれも心理的負荷の強度はⅡである。
(3)うつ病発症の時期について
【被告】
うつ病症状の時期は「
2
階でゆっくり休みたい」という平成
14
年
4
月
20
日である。異動前の職務は過重なものではなく、異動後間もない時点で発症していることからすれば、うつ病発症は公務が原因であるとは認められない。
【原告】
4
月には仕事に追われる長時間勤務ではあったが、仕事への意欲があった。しかし、
5
月に入ってから、食欲がなくなり、テレビにも興味を示さなくなり、仕事に対しても悲観的な発言をするようになった。
4
月と
5
月とで、被災者の状態には歴然とした変化が見受けられることからすれば、被災者は、通常業務や地域福祉計画策定など、公務の量的、質的過重性により、
5
月のGW明けにうつ病を発症したというべきである。
【判決のポイント】
原告の主張も被告の主張も退けて、被災者のうつ病は遅くとも
5
月
19
日に発症していたと認められる。ICD
-10
の診断基準により5月中旬の症状を観察すると軽症うつ病エピソードの判断基準を満たし、これらの症状が出そろった時期をうつ病発症時期と認めるのが相当である。
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豊岡市職員過労自殺公務災害認定をめぐる行政訴訟の取り組みについて、神戸地裁において6月25日に公務外認定を取り消す判決が出ました。翌日には原告、豊岡市職労、自治労県本部、自治労本部により、地方公務員災害補償基金本部に対して大阪高裁への控訴を断念するよう強く要請しましたが、7月8日に基金本部が控訴したことにより大阪高裁でさらに控訴審が続くことになりました。この神戸地裁での勝利判決は、2003年5月の公務災害認定を支える会の結成から10年を超える取り組みと、多くの関係者の皆さんの物心両面のご支援とご協力による大きな成果であり、公務災害認定を支える会として心よりお礼を申し上げます。
ここでは神戸地裁での原告と被告の主張と争点、判決のポイントについて報告し、詳細は控訴審の勝利により報告したいと考えます。
2.公務災害認定闘争から裁判闘争への経緯
(1)公務災害認定の取り組み経過の概略
2003年2月,地方公務員災害補償基金兵庫県支部長(「基金支部」)に対し,公務災害認定請求をしましたが、2006年1月30日付で公務外認定処分。同年3月28日、地方公務員災害補償基金兵庫県支部審査会(支部審査会)に審査請求を行いましたが、2009年9月30日付で審査請求棄却。その後,地方公務員災害補償基金審査会(本部審査会)に再審査請求を行いました。2010年9月27日、再審査請求を棄却する裁決書が届きました。
(2)訴訟の当事者
①原告:被災職員である豊岡市職員の妻。被災職員は、1985年に採用され、2002年4月、社会福祉課に着任しましたが、同年5月28日朝、車の中で一酸化炭素中毒により自殺しました。死亡当時39歳。
②被告:地方公務員災害補償基金(処分行政庁:地方公務員災害補償基金兵庫県支部長・井戸敏三)
(3)公務外認定取消しを求める訴訟の提訴
2010年10月26日、原告は、神戸地方裁判所に、地方公務員災害補償基金兵庫県支部長が原告に対し2006年1月30日付で公務外の災害と認定した処分を取り消すことを求める訴訟を提起しました。
3.当事者双方の主張と判決要旨
(1)公務の量的過重性(時間外勤務時間)について
【被告】
時間外命令簿の4月22時間、5月14時間を超えて仕事をしたことを裏付ける成果物などの証拠がない。月30時間を超える時間外命令簿も上司との協議により出来る状況にあったにもかかわらず、上記の時間外勤務以上の勤務はしていない。
【原告】
タイムカード、パソコン履歴、手帳の記録などから、4月は約115時間、5月は約88時間の時間外勤務をしていた。30時間を超える時間外命令簿への記入は、財政難ということもあり、正直には申告できない雰囲気が職場にあった。地域福祉計画担当の前任者も後任者も午後9時、10時ころまで残業していた事実を証言。
【判決のポイント】
被告の主張はほぼ退け、原告の主張がほぼ全面的に取り入れられた。被災者のタイムカードの退勤時刻の打刻後に、前任者が4日ほど被災者のパソコンを使用した時間のみ認めなかったが、それ以外はすべて原告の主張が取り入れられた。うつ病発症が5月19日と認定されたことにより、この時点から遡る前1ヵ月目は103時間50分、前2ヵ月目は107時間39分、前3ヵ月目は5時間という時間外勤務と認定された。4月15日から5月4日までの20日間は休みを取らず連続勤務していた。
(2)公務の質的過重性(地域福祉計画)と公務起因性の有無について
【被告】
前任者からの支援が十分あった。通常業務もひとつひとつ個別に考えれば精神的・肉体的負担になるものではない。17年間のキャリアと経験があるから、異動後の引継ぎ業務の経験も豊富にあったし、被災者の職務は、地域福祉計画策定の政策を決定するような重大な責任を負うものではなかった。
【原告】
前任者からの引継ぎ自体も、通常業務も、過重であった。地域福祉計画の策定は10月か11月までにはほぼ完成形といえるような形での中間報告を策定して市民の意見を聞く、という手順になっていたから、策定までの時間的余裕もなかった。さらに、初めての地域福祉計画策定であったため、ノウハウもなく、イメージがつかめない状況にあった。上司は被災者の職務内容を把握していないばかりか、計画を取りまとめる役割を果たしていなかった。職員が協力しあうという職場の状況ではなく、周りからの支援もなかった。17年間のキャリアや経験がそのまま活かせるというものではない。
【判決のポイント】
この部分についても被告の主張を退け、原告の主張が採用された。新評価基準(心理的負荷の強度Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)に照らせば、前任者などの支援があったとしても、「配置転換があった」地域福祉係の通常業務は平均的な心理負荷の強度はⅡである。「新規事業の担当」「達成困難なノルマを課せられた」も心理的負荷の強度はいずれもⅡである。時間外労働にいても「1ヵ月に80時間以上の時間外労働を行なった」「2週間以上にわたって連続勤務を行った」はいずれも心理的負荷の強度はⅡである。
(3)うつ病発症の時期について
【被告】
うつ病症状の時期は「2階でゆっくり休みたい」という平成14年4月20日である。異動前の職務は過重なものではなく、異動後間もない時点で発症していることからすれば、うつ病発症は公務が原因であるとは認められない。
【原告】
4月には仕事に追われる長時間勤務ではあったが、仕事への意欲があった。しかし、5月に入ってから、食欲がなくなり、テレビにも興味を示さなくなり、仕事に対しても悲観的な発言をするようになった。4月と5月とで、被災者の状態には歴然とした変化が見受けられることからすれば、被災者は、通常業務や地域福祉計画策定など、公務の量的、質的過重性により、5月のGW明けにうつ病を発症したというべきである。
【判決のポイント】
原告の主張も被告の主張も退けて、被災者のうつ病は遅くとも5月19日に発症していたと認められる。ICD-10の診断基準により5月中旬の症状を観察すると軽症うつ病エピソードの判断基準を満たし、これらの症状が出そろった時期をうつ病発症時期と認めるのが相当である。