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地震・石綿・マスク支援プロジェクト

これからのアスベスト対策を考える集いin仙台

2013/03/20
◆概 要

昨年8月、阪神淡路大震災後のガレキ処理作業に2ヵ月間従事した労働者が中皮腫を発症し、労災認定されました。東日本大震災の被災地でもアスベストによる環境汚染や、健康被害を予防するための取り組みが求められています。東日本大震災から2年が経った320日、アスベスト被害のない被災地の復興をテーマにシンポジウム(東京労働安全衛生センター主催)が仙台市で開催されました。ひょうご労働安全センターからは5名が参加し、シンポジウム前日に被災地の厳しい現状も体感することが出来たので合わせて報告します。


◆真っ赤に錆びた大時計

319日の午後、石巻市の雲雀野地区のがれき仮置き場を見学しました。雲雀野地区では新たな市街地計画が進められています。更地に築山がひとつ作られ、6mの高さに水平に青い線が引かれていました。街全体をこの築山と同じ6mの高さまで盛り土し、その上に街の再開発を行うというプロジェクトです。しかし、この地に戻らないと決められた方と戻りたいと願っている住民の意見が既に分かれているとのことです。元の賑わいが戻るにはどれ程の時間がかかるのでしょうか。今、津波で押し流された後の住宅の基礎部分だけがあちらこちらでポツンと取り残されていました。

次に、石巻市の門脇小学校に移動。一帯は民家が流され基礎部分だけ残る光景のなかで、現地の方から地震と津波の話を聞きました。一面の更地に雑草が生い茂っている中で、生き証人となるかのように石巻市門脇小学校が廃墟となって立ちすくんでいます。津波で押し流された校舎の1階と2階。その上に火災が発生したために校舎も延焼しました。校舎に掛けられた大時計が真っ赤に錆びその時間で止まったままです。ただ、幸いなことに門脇小学校の児童は、先生による誘導で学校の裏手にある日和山に避難し一人の被害者も出なかったそうです。震災までは住居が立ち並び、校庭には子どもたちの声が響いていたことでしょう。小学校裏手にある日和山に登ると海岸線まで数キロは住居がほとんどありませんでした。

仙台への帰り道、ずさんな解体工事が行われていた現場に立ち寄りました。この現場は、石巻市内の民家の近くにあり、鉄骨に吹き付け材が施され、青石綿と茶石綿が地面に剥がれ落ちているのを、現地調査を行っていた東京労働安全衛生センターのメンバーが発見したのでした。そのため、石巻市と労働基準監督署にアスベストの安全な除去工事と飛散を防ぐ緊急処置を要請していました。現場は、建屋をテントで覆い内部を負圧にして飛散を防止しながら、石綿等の除去工事を行っていました。不適切な解体工事が行われていたことを、周囲の住民はどれだけ認識していたのでしょうか。


◆孫が好きだったチューリップ

20日は、仙台港近郊の瓦礫置き場・分別場を数か所見学。広大な津波の跡地に分別したガレキを積み上げた山が散在しています。未舗装の道路をダンプがひっきりなしに通行し、すごい土埃でした。

簡易マスク着用者やマスクも着用していない運転手が目に留まりました。どの出入口にも警備員が立ち、私たちの立ち入りを拒んでいました。粒子の細かい粉じんが舞う中で警備員は1日中立ち仕事をしているわけですが、作業員向けの防じんマスクを着用した方と簡易のマスクをされた方に分かれており、作業員教育の徹底が望まれます。広大な敷地には分別した瓦礫を積み上げた山が幾つも連なり、休日でも重機が休みなく動き、仮焼却却からは煙が立ち上っていました。

次に訪れた荒浜海岸では、津波の激しさを物語るように曲がったガードレールがあちこちに見受けらました。今年311日に建立されたばかりの慰霊碑と祈りの塔(観音様)に次々と地元の方々がお参りに訪れていました。190名の名前が刻まれており、2歳で亡くなった幼児、一家で名前が連なっている文字に思わず涙してしまいました。どの方もそれぞれの思いを抱えて手を合わせている姿が切ないです。

海岸近くには、解体されずにそのままの状態の建物が一軒だけ残っていました。近づくと、たった一人で小さな畑を耕している老人がおられました。親族
5人が亡くなられたそうです。何もせずに仮設住宅にいるより、畑仕事をしていれば気持ちがまぎれると話されました。小さな畑の淵には、孫が好きだったチューリップを植えていると顔をほころばせていました。硬い地面から小さな芽が顔をのぞかせていました。以前はこの辺り一面に田んぼが広がっていたそうです。しかし津波の塩害で耕すこともできないそうです。更地になった田んぼを見ながら、「宮城米は美味しいですよ。食べてください」との言葉に、胸が辛くなりました。



◆アスベスト被害を考える集いin仙台

20日午後からのシンポジウムは、100名以上の参加者で熱気に包まれていました。東北大学の吉岡敏明教授から、被災地のがれき処理現状と課題について講演がありました。当初、仙台市内では、市民が自ら震災ゴミ仮置場に搬入したゴミはゆるやかな分別がされていた。しかし、これを明確な分別することによって資源をリサイクルに回し、がれき処理率を上げた。アスベスト対策では、仙台市は業者に対し、マスク・ゴーグル・手袋を配布している。アスベストレクチャーを1日かけて実施している。環境配慮では、飛散性アスベスト廃棄物を解体現場にて密封し最終処理場に直送し埋め立て、密封保管している。全市地域でモリタリングを公表し、解体現場の立入調査も実施している、と報告がありました。また、宮崎県内のがれきも仙台市が受け入れており、後3年間でがれき処理が出来るだろうと展望を話された。

東京安全センターの外山尚紀さんたちは、東日本大震災が発生した翌月、20114月より被災地でアスベスト調査開始されました。アスベスト含有建材の状況をより詳細に把握し、気中のアスベスト繊維濃度を測定し、これらを評価することにより、適切で合理的な対策を検討し提言することの必要性を語られました。被災地の特徴として、①吹付け材などの飛散しやすい建材を使用した高リスクの建物が点在している、②高リスクの場所では気中アスベスト濃度の上昇が見られる、③アスベスト含有吹付け材の不適切な除去事例が確認された、④波板スレートも含め成形版が数多く残存している、ことを上げられました。しかし、現場の労働者はアスベストに対する認識が低いと、問題点を指摘されました。

さらに、仙台錦町診療所の広瀬俊雄医師からは、石巻市内には24ヵ所のがれき置場があり、その地域一帯の住居者に実施している石綿等粉じん健康影響調査の報告がなさました。住民の方に、毎日、喘息患者の日常管理にも利用されている、ピークフローメータという簡便な機器を使い、いっぱいまで息を吸った状態から勢いよく吐き出したときの息の速さを測定した値と、自覚症状も記録した健康日誌を基に調査を行っている。それを毎日のアメダスデータの記録(風向きの影響)と照合し、さらに既往歴や喫煙状況も考慮して現在解析を進めていると話されました。広瀬医師は、喘息などの既往歴がある患者の場合、更に喫煙歴が合わさると低濃度のアスベストばく露であっても将来、健康障害が生まれるかもしれないと危惧され、アスベスト取扱い労働者への禁煙指導が重要だと結ばれました。

立命館大学の南慎二郎研究員からは、阪神・淡路大震災被災地で倒壊建物の解体やがれきの分別・運搬・処理などに従事した作業員に対して行ったアンケート調査が報告されました。250名の回答者の内の56%がガーゼマスクやタオルを使用しており、防じんマスク使用者は22%しか示していない。また、作業監督者からの注意や教育に関しては、たった4%の作業者となっており、作業内容に関わらず監督指導や適切な保護具の実施が求められる。阪神・淡路大震災被災地での粉じん飛散状況と同様なことがこの東日本大震災のがれきを扱う復旧作業者にもおこるのではないかと、警鐘を鳴らされました。

各報告を受けてのパネルディスカッションでは、コーディネータの熊本学園大学教授の中地重晴先生から、被災地の労働者やボランティアのアスベストばく露暦の記録を残す制度が必要だと提言されました。

外山さんからは、アスベスト疾患は、非常に潜伏期間が長く、個人で対策が取りにくく、行政の厳しい規制が大切だと発言がありました。また、阪神・淡路大震災の被災者や尼崎クボタの被災者との交流が重要であり、被災当事者抜きで対策が進められていることを懸念されていました。


◆阪神・淡路大震災の経験を東日本に

最後に、東京安全センターの平野敏夫代表理事より、被災地運動の対策がポイントとなり、地元の現場労働者と行政・住民・NPONGOといった組織の連携が必要不可欠であると締めくくられました。

また、展示コーナーには、石巻市内のずさんな解体工事現場の付近で採取した青石綿・茶石綿のかたまりが展示されており、参加者は食い入るように覗き込んでいました。阪神・淡路大震災後の復旧・復興工事やガレキ処理に関わり、中皮腫を発症した被害者は既に5人もの方が確認されています。潜伏期間の長さを考えるとこれからも被災者が増加することが予想され、同じことが東日本大震災の被災地でも起こり得ることにならないためにも、対策は急務です。