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労災事故・障害補償・審査請求
「間質性肺炎」ではなく石綿肺 再審査で逆転認定
2010/09/20
◆概要
浅野スレート札幌工場(現・A&Aマテリアル)に
13
年間勤務し、「間質性肺炎」と診断された
D
さん。
2008
年に亡くなられた後、ご遺族が労災補償を求め請求をおこなったのですが、札幌中央署は不支給処分を決定。そのため、再審査請求を行っていたのですが、労働保険審査会は、
8
月
4
日付けで、石綿肺であると判断し、不支給処分を取り消す裁決をおこないました。
◆高濃度の石綿ばく露作業に従事
D
さんは、
1963
(昭和
38
)年
2
月より
1976
(昭和
51
)年
2
月までの
13
年間にわたり、浅野スレート札幌工場において、原料部門に属し、石綿スレート製品の製造業務における原料(石綿等)の配合作業に従事されました。配合作業は、かくはんするチェスト機に原料を投入する作業で、セメント・水・パルプ、そして石綿袋を破り投入する業務です。使用していた石綿の量は、「一日、約
800kg
」とも報告されています。つまり、会社の中においても高濃度に石綿にばく露する作業環境にあったのです。
◆「肺内部キタナイ」と病名が間質性肺炎
D
さんは、若くして会社を退職し、その後神戸に移住し、製麺業を営んでおられました。そうした中、咳や発熱などの症状が出たため、
2000
年に
A
の呼吸器科を受診されたのですが、その時のカルテには「XPは肺内部キタナイ」と記載されていました。その後、呼吸器に関しては一旦落ち着いたのですが、
03
(平成
15
)年
1
月に
A
の呼吸器科を再診された際には、呼吸困難で入院が必要という状態で、この入院時についた病名が間質性肺炎と気管支拡張でした。
その後、自宅近くの
B
に転院されたのですが、
B
では
A
の紹介状を受け付け、間質性肺炎の患者としての診療が開始されたのでした。
◆じん肺の除外診断が行われていなかった
B
の外来診療録を見ると、
04
(平成
16
)年
12
月
28
日の診察録に「そば製造業」と、仕事に関する記述が始めて出てきます。そして、
05
(平成
17
)年
6
月
6
日の診断録には、「石綿S
38
-
51
(浅野スレート)専門につかっていた」との記述がありました。つまり、この頃はアスベストの危険性や労災に関連する新聞記事やテレビ報道が広がり始めた時期で、
D
さんもアスベストの危険性を認識し関西労働者安全センターに相談をおこない、主治医にも始めて石綿の使用・ばく露について話したのです。そして、
6
月
22
日の診療録には「関西安全センター」との記載もありました。
つまり、
D
さんは呼吸器に関する様々な症状を訴え、
00
(平成
12
)年に
A
を受診してから
05
(平成
17
)年
6
月までの間、アスベストに関する危険性や呼吸器に障害を起こすことを自覚しておらず、
A
においても
B
においてもアスベストに関する事を主治医に話していなかったのです。
被災者本人から、高濃度の石綿ばく露作業に従事した旨が告げられなかったために、
A
や
B
において、間質性肺炎、特発性肺繊維症、特発性間質性肺炎の病名がついたとしてもやむを得ないのです。つまり、病理組織学的な検査や間質性肺炎をきたしうる疾患の除外診断が行われないまま、特にじん肺(石綿肺)の除外診断が行われないまま「間質性肺炎」の病名が確定したのでした。
◆医師の協力が無く労災申請ができない
2005
年
8
月、ひょうご安全センターは、クボタショックの直後に「アスベスト被害者への支援の輪を広げる集会」を開きました。その時、酸素ボンベを引きながら、
D
さんも会場に来られていました。その時の
D
さんの発言が残っています。
「私は、肺胞が潰れていく病気、突発性間質性肺炎という診断を受けました。クボタの問題が取り上げられる前は、自分の病気がアスベストによるものだとは思いませんでした。ここ
2
年で
2
回も救急車で運ばれました。ちょっと無理をすると呼吸ができなくなります。しかし、病院では病気の原因はわからないと言われます。しかし、身体はどんどん弱り、段々と歩くこともできなくなり、家にも酸素の機械を入れました。外出時も酸素ボンベを持っていなければなりません。
1
年間、私は、アスベストとセメントを使って、煙突、波板、平板等を作ってきました。しかし、医師が証明してくれないと労災認定は下りません。この病気は、大変お金がかかります。薬と酸素だけでも年間
50
万円もかかります。肺胞が潰れていく病気がアスベストに関連する病気なのか、医師はもっと研究し、はっきりとさせてほしいです」。
D
さんは、何かの度に、「間質性肺炎という病名で、労災申請ができずにいる人の為に、もしもの時は自分の体を使って下さい」と何度も繰り返し訴えておられました。ご自身の経験から、「間質性肺炎」ということで労災申請が進まず、困っている方の力になりたいと考えておられたからでしょう。
◆兵庫局―じん肺「管理区分1」の決定
そこで、
08
年に兵庫労働局へじん肺管理区分申請をおこないました。「じん肺健康診断結果証明書」の各検査記録は
B
の主治医に協力をお願いしました。ところが、主治医は「特発性間質性肺炎」との所見を述べ、画像についても「
0
/-」との所見を記載したのでした。そのため、兵庫労働局も「管理区分1」と決定したのでした。
この結果と、そして決定に至る経過は、
D
さんにとって精神的に大きな負荷を与えたのでした。事情を説明すると、じん肺審査医による審査会が行われる前に、兵庫労働局の局員より、自宅療養中でベッドから起き上がれない容態の出町さんの携帯に電話があり、「証明書に
0
/-と記載されているので、管理区分申請を行っても意味がない」等の発言があったのでした。
労働局の職員からの「意味がない」との発言は、
D
さんにとって希望を断ち切られる出来事であり、事実この発言から
1
週間後に亡くなられたのでした。そして、「意味がない」発言は、ご遺族にも影響し、結局解剖は行われなかったのでした。
◆「急速な進展から石綿肺ではない」
札幌中央署が不支給処分を行った理由は、①対象疾病に該当しない、②石綿肺、胸膜プラークが認められない、③石綿小体・石綿繊維については組織検査が行われていない、④兵庫局において管理区分1と決定されている、⑤労災医員の意見は、じん肺の所見が認められない、からであるとされています。北海道局への審査請求においても、審査官は全く同じ北海道局の地方労災医員に意見を伺い、「急速に進展する経過(石綿肺の経過とすると極めて例外的)から判断すると、特発性間質性肺炎の可能性が高く、石綿肺はなかったものと診断する」とし、「急速な進展」をもって石綿肺でない判断したのでした。
◆石綿肺―管理区分4相当と判断
そこで、石綿肺であることを主張するために、審査請求・再審査請求において、みずしまクリニックの水嶋先生にご協力をいただきました。水嶋先生は、被災者が石綿ばく露作業に従事した労働者であることを指摘した上で、胸膜下粒状像、小葉間隔壁の肥厚、モザイクパターン、胸膜下線状像、胸膜プラークの画像診断から、被災者が発症した疾病は、間質性肺炎ではなく石綿肺であるとの意見書を作成して下さったのでした。
また、審査会においても影読が行われ、水嶋先生の意見どおり「高度の繊維化、蜂窩肺、牽引性気管支拡張症像が認められ」、「左肺背部に胸膜プラークと認められる陰影を複数確認した」として、「全肺野にわたり広汎に不整形陰影が見られ、第
2
型から第
3
型に相当する像が認められた」と判断したのでした。
そして、「死亡約
1
年前である当時の被災者の症状はじん肺管理区分『管理
4
』相当の療養を要する状態にまで重篤化していたと認められる」と判断したのでした。
◆多くの方々の力で勝ち取った逆転裁決
「労災の件は、片岡さんと西山さんに任せておきなさい」というのが、
D
さんの口癖でした。労災申請から決定が出るまで丸
2
年かかりましたが、アスベストセンターの皆さん、北海道の皆さん、同僚の皆さん、よこはまシティユニオンの皆さん、水嶋先生、古川さん、片岡さん…、沢山の方々の力を借りての認定でした。「石綿が原因でありながら、特発性間質性肺炎と診断され、補償を受けられない人の為に」と、いつも訴え続けていた
D
さんの思いを、さらに引き継がなければとの思いを強くした逆転裁決でした。
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浅野スレート札幌工場(現・A&Aマテリアル)に13年間勤務し、「間質性肺炎」と診断されたDさん。2008年に亡くなられた後、ご遺族が労災補償を求め請求をおこなったのですが、札幌中央署は不支給処分を決定。そのため、再審査請求を行っていたのですが、労働保険審査会は、8月4日付けで、石綿肺であると判断し、不支給処分を取り消す裁決をおこないました。
◆高濃度の石綿ばく露作業に従事
Dさんは、1963(昭和38)年2月より1976(昭和51)年2月までの13年間にわたり、浅野スレート札幌工場において、原料部門に属し、石綿スレート製品の製造業務における原料(石綿等)の配合作業に従事されました。配合作業は、かくはんするチェスト機に原料を投入する作業で、セメント・水・パルプ、そして石綿袋を破り投入する業務です。使用していた石綿の量は、「一日、約800kg」とも報告されています。つまり、会社の中においても高濃度に石綿にばく露する作業環境にあったのです。
◆「肺内部キタナイ」と病名が間質性肺炎
Dさんは、若くして会社を退職し、その後神戸に移住し、製麺業を営んでおられました。そうした中、咳や発熱などの症状が出たため、2000年にAの呼吸器科を受診されたのですが、その時のカルテには「XPは肺内部キタナイ」と記載されていました。その後、呼吸器に関しては一旦落ち着いたのですが、03(平成15)年1月にAの呼吸器科を再診された際には、呼吸困難で入院が必要という状態で、この入院時についた病名が間質性肺炎と気管支拡張でした。
その後、自宅近くのBに転院されたのですが、BではAの紹介状を受け付け、間質性肺炎の患者としての診療が開始されたのでした。
◆じん肺の除外診断が行われていなかった
Bの外来診療録を見ると、04(平成16)年12月28日の診察録に「そば製造業」と、仕事に関する記述が始めて出てきます。そして、05(平成17)年6月6日の診断録には、「石綿S38-51(浅野スレート)専門につかっていた」との記述がありました。つまり、この頃はアスベストの危険性や労災に関連する新聞記事やテレビ報道が広がり始めた時期で、Dさんもアスベストの危険性を認識し関西労働者安全センターに相談をおこない、主治医にも始めて石綿の使用・ばく露について話したのです。そして、6月22日の診療録には「関西安全センター」との記載もありました。
つまり、Dさんは呼吸器に関する様々な症状を訴え、00(平成12)年にAを受診してから05(平成17)年6月までの間、アスベストに関する危険性や呼吸器に障害を起こすことを自覚しておらず、AにおいてもBにおいてもアスベストに関する事を主治医に話していなかったのです。
被災者本人から、高濃度の石綿ばく露作業に従事した旨が告げられなかったために、AやBにおいて、間質性肺炎、特発性肺繊維症、特発性間質性肺炎の病名がついたとしてもやむを得ないのです。つまり、病理組織学的な検査や間質性肺炎をきたしうる疾患の除外診断が行われないまま、特にじん肺(石綿肺)の除外診断が行われないまま「間質性肺炎」の病名が確定したのでした。
◆医師の協力が無く労災申請ができない
2005年8月、ひょうご安全センターは、クボタショックの直後に「アスベスト被害者への支援の輪を広げる集会」を開きました。その時、酸素ボンベを引きながら、Dさんも会場に来られていました。その時のDさんの発言が残っています。
「私は、肺胞が潰れていく病気、突発性間質性肺炎という診断を受けました。クボタの問題が取り上げられる前は、自分の病気がアスベストによるものだとは思いませんでした。ここ2年で2回も救急車で運ばれました。ちょっと無理をすると呼吸ができなくなります。しかし、病院では病気の原因はわからないと言われます。しかし、身体はどんどん弱り、段々と歩くこともできなくなり、家にも酸素の機械を入れました。外出時も酸素ボンベを持っていなければなりません。1年間、私は、アスベストとセメントを使って、煙突、波板、平板等を作ってきました。しかし、医師が証明してくれないと労災認定は下りません。この病気は、大変お金がかかります。薬と酸素だけでも年間50万円もかかります。肺胞が潰れていく病気がアスベストに関連する病気なのか、医師はもっと研究し、はっきりとさせてほしいです」。
Dさんは、何かの度に、「間質性肺炎という病名で、労災申請ができずにいる人の為に、もしもの時は自分の体を使って下さい」と何度も繰り返し訴えておられました。ご自身の経験から、「間質性肺炎」ということで労災申請が進まず、困っている方の力になりたいと考えておられたからでしょう。
◆兵庫局―じん肺「管理区分1」の決定
そこで、08年に兵庫労働局へじん肺管理区分申請をおこないました。「じん肺健康診断結果証明書」の各検査記録はBの主治医に協力をお願いしました。ところが、主治医は「特発性間質性肺炎」との所見を述べ、画像についても「0/-」との所見を記載したのでした。そのため、兵庫労働局も「管理区分1」と決定したのでした。
この結果と、そして決定に至る経過は、Dさんにとって精神的に大きな負荷を与えたのでした。事情を説明すると、じん肺審査医による審査会が行われる前に、兵庫労働局の局員より、自宅療養中でベッドから起き上がれない容態の出町さんの携帯に電話があり、「証明書に0/-と記載されているので、管理区分申請を行っても意味がない」等の発言があったのでした。
労働局の職員からの「意味がない」との発言は、Dさんにとって希望を断ち切られる出来事であり、事実この発言から1週間後に亡くなられたのでした。そして、「意味がない」発言は、ご遺族にも影響し、結局解剖は行われなかったのでした。
◆「急速な進展から石綿肺ではない」
札幌中央署が不支給処分を行った理由は、①対象疾病に該当しない、②石綿肺、胸膜プラークが認められない、③石綿小体・石綿繊維については組織検査が行われていない、④兵庫局において管理区分1と決定されている、⑤労災医員の意見は、じん肺の所見が認められない、からであるとされています。北海道局への審査請求においても、審査官は全く同じ北海道局の地方労災医員に意見を伺い、「急速に進展する経過(石綿肺の経過とすると極めて例外的)から判断すると、特発性間質性肺炎の可能性が高く、石綿肺はなかったものと診断する」とし、「急速な進展」をもって石綿肺でない判断したのでした。
◆石綿肺―管理区分4相当と判断
そこで、石綿肺であることを主張するために、審査請求・再審査請求において、みずしまクリニックの水嶋先生にご協力をいただきました。水嶋先生は、被災者が石綿ばく露作業に従事した労働者であることを指摘した上で、胸膜下粒状像、小葉間隔壁の肥厚、モザイクパターン、胸膜下線状像、胸膜プラークの画像診断から、被災者が発症した疾病は、間質性肺炎ではなく石綿肺であるとの意見書を作成して下さったのでした。
また、審査会においても影読が行われ、水嶋先生の意見どおり「高度の繊維化、蜂窩肺、牽引性気管支拡張症像が認められ」、「左肺背部に胸膜プラークと認められる陰影を複数確認した」として、「全肺野にわたり広汎に不整形陰影が見られ、第2型から第3型に相当する像が認められた」と判断したのでした。
そして、「死亡約1年前である当時の被災者の症状はじん肺管理区分『管理4』相当の療養を要する状態にまで重篤化していたと認められる」と判断したのでした。
◆多くの方々の力で勝ち取った逆転裁決
「労災の件は、片岡さんと西山さんに任せておきなさい」というのが、Dさんの口癖でした。労災申請から決定が出るまで丸2年かかりましたが、アスベストセンターの皆さん、北海道の皆さん、同僚の皆さん、よこはまシティユニオンの皆さん、水嶋先生、古川さん、片岡さん…、沢山の方々の力を借りての認定でした。「石綿が原因でありながら、特発性間質性肺炎と診断され、補償を受けられない人の為に」と、いつも訴え続けていたDさんの思いを、さらに引き継がなければとの思いを強くした逆転裁決でした。