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過労死・過重労働・脳心臓疾患
精神障害事案 総合評価「弱」で不支給
2010/07/20
◆うつ病を発症し、自殺
「自分の不甲斐なさに疲れました。みな様には今までいろいろ助けていただいて、本当にありがとうございました。」との遺書を残し、
2006
年
1
月
9
日、Tくんは自ら命を絶たった。
30
歳であった。
大坂にあるビル・メンテナンス会社に雇われ、神戸市の大型スーパーの設備部門を担当していたのであるが、亡くなる前年の秋頃から「会社に迷惑をかけた…」と悩み、
2005
年
1
月の健康診断の際には
83kg
あった体重は、同年
10
月には
71kg
にまで減っていた。余りの激やせ、そして何を問いかけてもカラ返事の様子を見かねた父が、「会社を辞めてはどうか」とアドバイスし、本人も
10
月
20
日に退職届を提出したのであった。
ところが、会社からの説得により働き続けることとなったのではあるが、毎晩帰宅は遅く、作業服を着たまま寝ている姿を見かけることも増え、
12
月になるとスーパーの年末商戦のため休日もなく働く毎日であった。そして、年明けの
1
月
4
日、自宅近くの市民病院を受診し、「
2005
年
10
月に上司が変わって、自分のぐずさが目立つようになってきた。今までフォローしてもらっていた。それでますます孤独になってきた。責任者みたいな立場になっているが、他の人が優秀だと思うし、重荷になっている。」と、医師に訴えたのであった(診療録より)。病名は「うつ状態」、医師は「精神的疲労がみられ、休養が必要な状態である」と説明したのであった。
6
日の夜、「会社に無視された」と弟に電話した後で行方が分からなくなり、
7
日に父にかけた「親父もうあかん」の電話が最後の声となったのであった。
◆天満労基署へ労災申請
昨年(
2009
年)
4
月、ご遺族は「平成
17
(
2005
)年
9
月頃から、取引先からの無理な注文が増え、あわせて対人関係のトラブルや変化が起き、また長時間労働が続く中でうつ病を発症した」として、大阪・天満労基署に労災申請を行ったのである。
申請に至るまでに、はりまユニオンとセンターで調査を行う中で、元もと正社員
2
名と派遣社員
1
名で行っていた設備部門の仕事が正社員
1
名と派遣社員
1
名の体制となっていたこと、Tくんが主任として仕事の責任を負っていたこと、
2005
年
9
月からスーパーの人事異動で副店長が代わり設備部門の以外の作業依頼が増えたこと、等がわかってきた。
また、スーパーの営繕に関して、
10
万円以内の工事はスーパーの店長決済で済むが、
10
万円以上はスーパーの関連企業を通じて発注する仕組みとなっていたのであるが、新副店長に懇願されたためにその知り合いの業者に工事を依頼し、その金額が
10
万円を超えたためにTくん一人が責任を問われる出来事があったと分かった。これが、「会社に迷惑をかけた…」とTくんが悩んでいた出来事だったのである。
さらに、Tくんが退職届を提出したため、会社は年末から非正規社員
1
名を増員するという対応を取ったのだが、この対応が更にTくんを苦しめる事につながったのである。この非正規の社員は、Tくんよりも経験がある年配の方で、Tくんがスーパーから依頼される本来業務以外の仕事に対しては全く協力がなく、「余分な仕事を持ってくるな!」と激しく責めていたそうで、その姿をスーパーの警備の人が何度も見ているのであった。そのため、スーパーの駐車場に空いた穴ポコ修理の依頼を、同僚に手伝いを頼めず、弟と二人で夜遅く作業したこともあったのである。
◆不支給決定に対し再審査請求
今年
3
月
23
日、天満労基署は、本件に対して不支給決定の処分を行った。天満署の判断は次のとおりである。市民病院の診療録にある「
2005
年
10
月に上司が変わって、自分のぐずさが目立つようになってきた。」との出来事は、「判断指針」の「対人関係の変化」「上司が替わった」を類推適用し強度「Ⅰ」とし、「修正を要せず」そのままⅠと判断。
また、
3
人体制から
2
人体制へとの変更を、「仕事の量・質の変化」「勤務・拘束時間が長時間化する出来事が生じた」を適用し強度「Ⅱ」としたが、「恒常的長時間労働も認められない」からと強度「Ⅱ」から「Ⅰ」へと修正をし、出来事後の状況についても「事業場の支援協力にも問題は認められない」として、総合評価「弱」と判断したのである。
スーパーの副店長の人事異動を、天満署は「上司が替わった」を類推適用しているが、Tくんからすると得意先の役員の交代であり、しかも本来業務である設備部門以外の作業指示が増えるきっかけの出来事であり、「会社に迷惑をかけた…」とTくんが悩む原因を作った張本人が登場する出来事なのである。「評価表」における、「顧客や取引先から無理な注文を受けた」、または「会社で起きた事故(事件)について、責任を問われた」と類推すべきであると考える。それは、Tくんの作業日報に残された、「不良カート(キャスター)整備約
20
台」「
POP
取付」「店外クリスマスイルミネーション取り外し」「店頭テントかたづけ」「お正月催事、取り外し」等々の記載からも、業務以外の仕事である事は明らかであり、駐車場の穴ポコ修理や草刈り等、スーパー側から「便利屋」として無理な注文が受けていた事が分かる。
時間外労働についても、残業手当は毎月ほぼ「
31.5
時間」分となっており、同僚の方が「残業手当の請求は、上限が決まっていた」と話してくれたように、残業手当分がイコール労働時間ではないのである。しかし、天満署は「恒常的長時間労働も認められない」と切り捨てたのである。
主任として得意先の作業依頼に応えなければ会社に迷惑をかけるのではとのTくんの思い、残業手当が付かない仕事を先輩に頼めず弟に手伝いを求め夜遅く作業をしていたTくんの思い、これがなぜ理解できないのであろうか。そして、大晦日に、スーパー閉店後の店長挨拶で「ご苦労さまでした。今日で(今年も)終わりです」の言葉に、自分が首になったと勘違いし、かなり落ち込むほど追いつめられていたのであった。
現在、審査請求を行い、資料の提出準備を進めているところである。私が初めて見たTくんの遺書は、細切れに破れかれたものがテープで元通りに張り付けられていた。細かく刻んで消してしまおうとしたお母さんが、労災申請の為にもう一度張り合わせてくれたものである。労災認定と責任追及の為に、ご両親・ご家族と一緒に、もう一度Tくんの歩いた道を振り返る作業を続けているところである。
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「自分の不甲斐なさに疲れました。みな様には今までいろいろ助けていただいて、本当にありがとうございました。」との遺書を残し、2006年1月9日、Tくんは自ら命を絶たった。30歳であった。
大坂にあるビル・メンテナンス会社に雇われ、神戸市の大型スーパーの設備部門を担当していたのであるが、亡くなる前年の秋頃から「会社に迷惑をかけた…」と悩み、2005年1月の健康診断の際には83kgあった体重は、同年10月には71kgにまで減っていた。余りの激やせ、そして何を問いかけてもカラ返事の様子を見かねた父が、「会社を辞めてはどうか」とアドバイスし、本人も10月20日に退職届を提出したのであった。
ところが、会社からの説得により働き続けることとなったのではあるが、毎晩帰宅は遅く、作業服を着たまま寝ている姿を見かけることも増え、12月になるとスーパーの年末商戦のため休日もなく働く毎日であった。そして、年明けの1月4日、自宅近くの市民病院を受診し、「2005年10月に上司が変わって、自分のぐずさが目立つようになってきた。今までフォローしてもらっていた。それでますます孤独になってきた。責任者みたいな立場になっているが、他の人が優秀だと思うし、重荷になっている。」と、医師に訴えたのであった(診療録より)。病名は「うつ状態」、医師は「精神的疲労がみられ、休養が必要な状態である」と説明したのであった。6日の夜、「会社に無視された」と弟に電話した後で行方が分からなくなり、7日に父にかけた「親父もうあかん」の電話が最後の声となったのであった。
◆天満労基署へ労災申請
昨年(2009年)4月、ご遺族は「平成17(2005)年9月頃から、取引先からの無理な注文が増え、あわせて対人関係のトラブルや変化が起き、また長時間労働が続く中でうつ病を発症した」として、大阪・天満労基署に労災申請を行ったのである。
申請に至るまでに、はりまユニオンとセンターで調査を行う中で、元もと正社員2名と派遣社員1名で行っていた設備部門の仕事が正社員1名と派遣社員1名の体制となっていたこと、Tくんが主任として仕事の責任を負っていたこと、2005年9月からスーパーの人事異動で副店長が代わり設備部門の以外の作業依頼が増えたこと、等がわかってきた。
また、スーパーの営繕に関して、10万円以内の工事はスーパーの店長決済で済むが、10万円以上はスーパーの関連企業を通じて発注する仕組みとなっていたのであるが、新副店長に懇願されたためにその知り合いの業者に工事を依頼し、その金額が10万円を超えたためにTくん一人が責任を問われる出来事があったと分かった。これが、「会社に迷惑をかけた…」とTくんが悩んでいた出来事だったのである。
さらに、Tくんが退職届を提出したため、会社は年末から非正規社員1名を増員するという対応を取ったのだが、この対応が更にTくんを苦しめる事につながったのである。この非正規の社員は、Tくんよりも経験がある年配の方で、Tくんがスーパーから依頼される本来業務以外の仕事に対しては全く協力がなく、「余分な仕事を持ってくるな!」と激しく責めていたそうで、その姿をスーパーの警備の人が何度も見ているのであった。そのため、スーパーの駐車場に空いた穴ポコ修理の依頼を、同僚に手伝いを頼めず、弟と二人で夜遅く作業したこともあったのである。
◆不支給決定に対し再審査請求
今年3月23日、天満労基署は、本件に対して不支給決定の処分を行った。天満署の判断は次のとおりである。市民病院の診療録にある「2005年10月に上司が変わって、自分のぐずさが目立つようになってきた。」との出来事は、「判断指針」の「対人関係の変化」「上司が替わった」を類推適用し強度「Ⅰ」とし、「修正を要せず」そのままⅠと判断。
また、3人体制から2人体制へとの変更を、「仕事の量・質の変化」「勤務・拘束時間が長時間化する出来事が生じた」を適用し強度「Ⅱ」としたが、「恒常的長時間労働も認められない」からと強度「Ⅱ」から「Ⅰ」へと修正をし、出来事後の状況についても「事業場の支援協力にも問題は認められない」として、総合評価「弱」と判断したのである。
スーパーの副店長の人事異動を、天満署は「上司が替わった」を類推適用しているが、Tくんからすると得意先の役員の交代であり、しかも本来業務である設備部門以外の作業指示が増えるきっかけの出来事であり、「会社に迷惑をかけた…」とTくんが悩む原因を作った張本人が登場する出来事なのである。「評価表」における、「顧客や取引先から無理な注文を受けた」、または「会社で起きた事故(事件)について、責任を問われた」と類推すべきであると考える。それは、Tくんの作業日報に残された、「不良カート(キャスター)整備約20台」「POP取付」「店外クリスマスイルミネーション取り外し」「店頭テントかたづけ」「お正月催事、取り外し」等々の記載からも、業務以外の仕事である事は明らかであり、駐車場の穴ポコ修理や草刈り等、スーパー側から「便利屋」として無理な注文が受けていた事が分かる。
時間外労働についても、残業手当は毎月ほぼ「31.5時間」分となっており、同僚の方が「残業手当の請求は、上限が決まっていた」と話してくれたように、残業手当分がイコール労働時間ではないのである。しかし、天満署は「恒常的長時間労働も認められない」と切り捨てたのである。
主任として得意先の作業依頼に応えなければ会社に迷惑をかけるのではとのTくんの思い、残業手当が付かない仕事を先輩に頼めず弟に手伝いを求め夜遅く作業をしていたTくんの思い、これがなぜ理解できないのであろうか。そして、大晦日に、スーパー閉店後の店長挨拶で「ご苦労さまでした。今日で(今年も)終わりです」の言葉に、自分が首になったと勘違いし、かなり落ち込むほど追いつめられていたのであった。
現在、審査請求を行い、資料の提出準備を進めているところである。私が初めて見たTくんの遺書は、細切れに破れかれたものがテープで元通りに張り付けられていた。細かく刻んで消してしまおうとしたお母さんが、労災申請の為にもう一度張り合わせてくれたものである。労災認定と責任追及の為に、ご両親・ご家族と一緒に、もう一度Tくんの歩いた道を振り返る作業を続けているところである。