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震災後の過重労働 過労自殺に公務災害認定

2010/03/20
◆芦屋市職員震災後の過重労働

震災から15年が経ちました。あの震災による住民の被害は単なる数値だけでは言い表せるものではありませんが、同時に震災は被災自治体にとっても甚大な被害を与えました。上下水道等のライフライン復旧工事、施設補修、建て替え、仮設・復興住宅の建設などで多額の経費が必要とされ、被災自治体の財政を大きく圧迫しました。

震災前の芦屋市は「東の鎌倉、西の芦屋」と言われ、裕福な自治体の代名詞の如く呼ばれていましたが、震災以後はすべてにおいて一変してしまいました。市の予算面でも従来の経常的な事業予算もどんどんカットされ、一気に財政再建と行政改革がセットで断行されました。

今回、報告する芦屋市のMさんの事例は、震災直後のものではなく震災から約7年目に発生した過労自死についての認定までの取組みです。その過程で民間労働者とは違う公務員の公務災害認定制度が持つ問題点が浮かびあがってきました。


◆事件の経過

・平成1104 Mさん行政改革担当に就任(係長に昇進)。
超過勤務が常態化(月平均100時間前後)。

・平成1204 行政改革・復興担当係長(組織改正)に就任。超勤がさらに増加し体調の変化が顕著になる(この年10月には月144時間、年間1,110時間におよぶ)。

・平成1303 医療機関にて「うつ病」と診断。

・平成1304 本人の希望に基づき出先機関に配置転換。新しい職場で心機一転し新しい仕事に従事していたが、除々に仕事への意気込みと現実とのギャップが大きくなり症状は益々悪化。

・平成1401月から「うつ病」による療養休暇(入院)に入り、同年3月に復職。

・平成1405 仕事量は減ったものの見る見るうちに症状は悪化。再度、入院治療を勧められている中、遂に自死。

・平成1409 遺族が地方公務員災害補償基金兵庫県支部に対して公務災害認定申請を行う。

・平成1808 兵庫県支部は公務外と決定。

・平成1810 同上支部審査会に対して審査請求。

・平成2111 支部審査会は基金兵庫県支部の公務外を取消し、公務上として認定する。


◆認定上の争点

基金が超勤の多さを本人の性格的要因によるものとしていることに対して、遺族側は、赤字再建団体直前にまで追い込まれた市の助政を、全くこれまで財務事務経験のない本人と上司(課長)の二人だけの担当で立て直すという極めて難易度の高い、ストレスの多い職務を正当に評価していないこと。そして、膨大な超勤は本人だけでなく上司(課長)も一緒になって行わざるを得なかった程仕事量が多かったと主張し、本人の性格的要因説を否定しました。

本人には過去「うつ病」での受診歴があったことを基金は取り上げ、自殺は本人の性格に起因することが大きいと主張していることに対しても、前回の発症から今回の発症まで約15年間余りは回復して勤務、家族生活とも通常の社会生活を送っており、上司や同僚からは真面目、仕事熱心で黙々と仕事をするタイプと肯定的に評価されていた。よって、財政再建と行政改革の担当という極めて重要な職務に抜擢されたのであり、本人の性格や能力は一般的労働者の範囲内の性格的傾向や固体差に過ぎないと反論。

発症から自殺までの時間経過及び出先機関への配置転換後の超勤やストレスが減少していることで基金は自殺の公務起因性を否定していることに対して、労働と発症に詳しい兵庫教育大学岩井啓司教授(精神科医)に「うつ病」という疾病の持つ特性を専門家の立場から反論して頂き自殺は公務起因性のある公務災害であるとの意見書を提出した。

基金支部から公務外決定を受けた後に情報公開請求にて入手した書類によれば、兵庫支部が基金本部(東京)協議に出す段階では「公務災害である」と判断していたことが判明。そこで基金本部が支部の判断を否定し公務外決定に導く根拠となった本部専門医の示した「医学的知見」なるものとは一体何なのか、それは科学的な根拠がないものであると遺族側弁護士が徹底反論しました。

被災者本人の任命権者である市当局(市長)もはっきりと公務災害であると判断していることを文書で提出しました。

このような経過を辿ったあと、県審査会は上記争点について審理を行い、その結果、県支部が下した公務外決定を取消し遺族側の主張を認め公務災害と認定しました。
申請から認定まで7年の間には色々な苦労がありました。まず、人の記憶がどんどん消去していくなかで認定申請に役立つ被災者Mさんに関する情報収集を組合が全庁的に行いました。職員のなかには被災者に予算を削られ、被災者を叱ったとか本当は公言したくないような内容のものもあったようです。

このように職員が全面的に協力してくれた背景としては、このMさんの取組み前に、震災直後に過労死で亡くなった職員の認定闘争が組合主導で先行してあり、基金本部(東京)相手に再審査請求の最中だったという事情もあったかもしれません。よって情報収集も今回で2回目だったし職員も組合のやる気を多少、評価していたのかもしれません。

この2つの認定闘争を共に勝ち得た貴重な経験を組合再生のバネとし、これからも命を大切にする組合として頑張って欲しいものです。