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< 地震・石綿・マスク支援プロジェクト
地震・石綿・マスク支援プロジェクト
災害とアスベスト-阪淡路30年プロジェクト
2025年1月にむけて活動を開始
2024/02/23
♦マスクプロジェクトのスタート
阪神・淡路大震災の30年目にあたる2024年1月から、30年の節目となる2025年1月までの期間において、災害とアスベストに関する調査・研究を進め、記録に残す活動を開始した。その名称は、「災害とアスベストー阪神淡路30年プロジェクト」である。
私たちが震災とアスベスト間題を取り組み始めたのは、2008年3月である。マスコミの報道を通じて、阪神・淡路大震災後に倒壊建造物の解体・撤去作業に従事した男性が胸膜中皮腫を発症し、姫路労基署が労働災害であると認定したことがきっかけである。
その後、阪神・淡路大震災当時の資料やデーターを調べるうちに、震災直後から長田ボランティアルームの皆さんや「被災地のアスベスト対策を考えるネットワーク」の皆さんが、マスクプロジェクトを取り組んでいたことを知った。アスベストの危険性を訴えるチラシを配布し、マスクが入手できるようにマスクメーカーや小売店に要望しながら、住民一人一人が自分自身の健康を守るために自ら行動することの大切さを訴えていたのだった。
私たちはこの思いを受け継ぐことを決意し取り組みを継続している。
♦プロジェクト開始宣言
2023年12月25日、神戸市役所において記者会見を行い、「災害とアスベストー阪神淡路 30年プロジェクト」の活動を開始することを公表した。
発表した具体的な調査・研究テーマは次の 5つである。①飛散検証:阪神・淡路大震災におけるアスベスト飛散について検証を行なう。②災害とボランティア:災害時のアスベスト曝露についてボランティアの活動実態と意識調査を行なう。③アスベストばく露:災害復興・復1日作業に従事した労働者等からの聞き取り調査を行なう。④防災対策:行政における既存の災害対策の検証、今後の災害に対する防災対策の検討を行なう。⑤調査・研究活動を記録: ①~④の調査内容を記録化する。災害とアスベストに関する資料の収集。
そして当面の取組みとして、 1月14日にマスクプロジェクトを取り組むことと、 1月15~16日にかけて「震災とアスベストホットライン」を取り組むことを紹介した。
マスコミの関心も高く、讀賣新聞・日本経済新聞・神戸新聞・毎日新聞が会見内容を報じた。また共同通信が配信したことより、河北新報・千葉日報・埼玉新聞・愛媛新聞にも掲載された。そして地元のサンテレビは当日夕方のニュースで取組みを報じ、現在もYouTubeで視聴することができる。
*
https://sun-tv.
co. jp/suntvnews/news
♦能登半島地震の発生
2024年1月1日、午後4時10分頃、最大震度7の揺れを観測する能登半島地震が発生した。テレビ画面からは、能登半島全域で家屋が倒壊している様子や火災が発生した「輪島朝市」の周辺の映像が次々と映し出され、阪神・淡路大震災を経験した私たちは当時の記憶が想起された。
今回のプロジェクトの活動を開始するにあたり、昨年より被災地NGO協働センター(神戸)、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク・東京)、レスキューストックヤード(愛知)、日本財団災害対策事業部(東京)の皆さんとそれぞれ意見交換を行ってきた。ボランティアの方々は、災害が発生した際に被災者(地)支援のため被災現場に入るわけだが、アスベストの危険性に関する認識は低い。被災者を支える活動を行うと共に、被害に遭った建物の床や壁材を剥がす作業や壊れた建材を片付ける作業も行う。
ボランティア団体の方々との意見交換の場で、阪神・淡路大震災後に、アルバイトとして倒壊した建物の解体工事補助を約2カ月だけ従事した方が中皮腫を発症した事例や、警察官が被災地を約2か月警らしたことでアスベストにばく露し中皮腫を発症した事例があることを伝えると、自らの体験を重ねながら驚かれていた。また、被災者の方々の支援を行っている場面でも、近くで解体工事が行われていたり、避難所に指定されている直ぐ近くに災害瓦礫の仮置き場が設けられていることがあると話されていた。
近年、大雨や台風による災害が増えており、その度にボランティアの皆さんが被災地に駆けつけることが増えている。その「善意」が 20年後、30年後に二次被害に遭う事態はなんとしてでも避けなければならない。プロジェクトとして、今回の能登半島地震の被災地に対して、私たちにできる支援の取り組みを検討したい。
♦人と防災未来センターを訪問
今回のプロジェクト内容を具体化する議論のなかで、「阪神・淡路大震災 人と防災未来センター」での資料調査が話題となった。そして施設を訪問したことが無いメンバーからの要望もあり、 1月13日の午後に施設を見学し保存されている資料の閲覧をおこなうツアーを実施した。
当日の参加者は18名であった。13時30分に現地に集合し、常設の展示が行なわれている西館を見学した。4階の「震災追体験フロア」、3階の「震災の記憶フロア」、2階の「防災・減災体験フロア」を約90分かけて見学した。
その後、15時に5階の資料室に移動し保存されている資料の閲覧をおこなった。あらかじめ「ひとぼう」の検索システムにより、保存されている資料を「アスベスト」名で検索したところ52件がヒットした。その全てについて資料閲覧申請をおこなったところ、会議室に資料が準備されていた。
震災当時に活動されていた「アスネット」「被災地のアスベスト対策を考えるネットワーク」の取組みが分かる資料や行政資料、新聞記事を閲覧することができた。また、資料室にもアスベスト対策や飛散に関する冊子や本も所蔵されており、引き続き資料室の活用を考えている。
♦2024マスクプロジェクト
そして今年も、1月14日に、神戸・三宮において「地震・石綿・マスク支援プロジェクト」を取り組んだ。街頭でチラシと冊子を配布しながら、アスベストの危険性や防塵マスクの大切さをマイクで訴えた。当日は、当センターの多くの会員、中皮腫・アスベスト疾患.患者と家族の会の皆さん、そして東京労働安全衛生センターやアスベストセンター、アスベストリスクコミュニケーションPJの皆さん方も駆けつけ、総勢40名で活動を行った。
震災を体験していない若い世代が増えているが、漫画で描かれた「震災とアスベスト」の冊子は子供たちも関心を示し受け取ってくれた。年配の方は、「当時は埃っぽかったが、なかなかマスクが手に入らなかった」「アスベストの事が言われていた記憶はあるが、そんなに怖いものとは知らなかった」等々と声をかけてくれる人もいた。
当日は、兵庫県のマスコットキャラクターのはばタンも応援参加し、特に子供さん達や女性に大人気で、チラシや冊子の受け取りも良かった。
また、能登半島地震の被災地へ届けるために義援金の受付箱も準備した。多くの皆さんのご協力で、1時間半の短い時間ではあったが、23, 137円が集まった。義援金は、翌日、日本赤十字社を通じて被災地へ届けた。
♦震災とアスベストホットライン
今回のプロジェクトでは、阪神・淡路大震災後に、被災地で復旧・復興作業に従事された労働者の方々や、ボランティアとして被災地で活動された皆さんから、当時の作業状況に関する貴重な経験を聞き取り、記録に残す活動を行う。そのため、阪神・淡路大震災時の様子を話していただける方を一人でも多く募るため、 1月15~16日の=日間「震災とアスベストホットライン」を開設した。
事前に神戸新聞で取り組みが紹介され、当日も朝日放送とサンテレビの取材があり、8件の相談があった。主な相談内容を以下に紹介する。
・警察官として交通規制や警備の業務を、震災直後から3月までおこなった。当時は埃が大量に舞っており、マスクは支給された厚めのモノを使用していたが、 1 ~ 2日で真っ黒になった。カッターシャツも真っ黒になる状態だった。
・自宅で被災し1週間自宅待機。動いている J Rとバスを乗り継ぎ出勤したが街中ホコリだらけだった。郵便配達の仕事をしていたが、マスクは手に入らないし、局からの支給も無かった。その中で郵便の配達や集荷の業務をおこなった。上司からは安全対策について何も指示がなかった。
・自宅が損壊し、子供を実家に避難させたが、 10歳と8歳の子どもの入学のため、3月からは避難所からプレハブの校舎に通学させ、放課後は公園のテントに開設された学童に通わせた。子どもたちは埃が舞う中で通学していた。マスクは無かった。子どもたちは社会人となり孫もできたが、健康が心配。ぜひマスクを備蓄して欲しい。
・自宅が半壊し、水もガスも出ない状態。税理士事務所に勤務していたので、取引先の安否確認や提出資料の作成のため、6月頃まで被災地を回っていた。現在、医師から間質性肺炎の疑いと言われ経過観察中。震災の影響だろうか。
.震災当時、瓦礫の中でマンションや一般住宅、工場等の通電確認や送電のための作業を行った。マスクは誰も着用していなかった。1年程経ってから、会社から普通のマスクが配布された記憶がある。アスベストに対する危険性の認識はなく、周囲でもそれほど騒がれていた記憶がない。健康状態に不安。
相談者の方からは、今後インタビューの許可を得た方も多く、引き続き貴重な経験談を記録に残したいと考えている。
♦第1回実行委員会
今年は年明けに能登半島地震が発生したが、地震大国・日本では、甚大な被害をもたらす新たな地震がいつどこで発生してもおかしくない。
今回のプロジェクトでは、阪神・淡路大震災におけるアスベスト問題に焦点を合わせながら、災害とアスベストというテーマで調査・研究を進め、今後の災害に活かすため、記録に残す活動をおこなう。また、今年の防災の日(9月1日)や来年の1月にはシンポジウムを開催し、調査・研究内容を発表する予定である。そのため、多くの方の協力が必要であり、今回のプロジェクトは実行委員会形式で取り組むことにした。
実行委員会の呼びかけ人は、伊藤明子さん(大阪アスベスト弁護団)、中地重晴さん(熊本学園大学・社会福祉学部)、原口 剛さん(神戸大学・人文学研究科)、南 慎□郎さん(立命館大学・政策科学部)の4名である。
第1回実行委員会を2月9日に開催する。その後、改めプロジェクトヘの賛同の呼掛けを行うのでご協力をお願いしたい。
※アイコンクリックでデータをご覧ください。
データ1
データ2
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データ6
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阪神・淡路大震災の30年目にあたる2024年1月から、30年の節目となる2025年1月までの期間において、災害とアスベストに関する調査・研究を進め、記録に残す活動を開始した。その名称は、「災害とアスベストー阪神淡路30年プロジェクト」である。
私たちが震災とアスベスト間題を取り組み始めたのは、2008年3月である。マスコミの報道を通じて、阪神・淡路大震災後に倒壊建造物の解体・撤去作業に従事した男性が胸膜中皮腫を発症し、姫路労基署が労働災害であると認定したことがきっかけである。
その後、阪神・淡路大震災当時の資料やデーターを調べるうちに、震災直後から長田ボランティアルームの皆さんや「被災地のアスベスト対策を考えるネットワーク」の皆さんが、マスクプロジェクトを取り組んでいたことを知った。アスベストの危険性を訴えるチラシを配布し、マスクが入手できるようにマスクメーカーや小売店に要望しながら、住民一人一人が自分自身の健康を守るために自ら行動することの大切さを訴えていたのだった。
私たちはこの思いを受け継ぐことを決意し取り組みを継続している。
♦プロジェクト開始宣言
2023年12月25日、神戸市役所において記者会見を行い、「災害とアスベストー阪神淡路 30年プロジェクト」の活動を開始することを公表した。
発表した具体的な調査・研究テーマは次の 5つである。①飛散検証:阪神・淡路大震災におけるアスベスト飛散について検証を行なう。②災害とボランティア:災害時のアスベスト曝露についてボランティアの活動実態と意識調査を行なう。③アスベストばく露:災害復興・復1日作業に従事した労働者等からの聞き取り調査を行なう。④防災対策:行政における既存の災害対策の検証、今後の災害に対する防災対策の検討を行なう。⑤調査・研究活動を記録: ①~④の調査内容を記録化する。災害とアスベストに関する資料の収集。
そして当面の取組みとして、 1月14日にマスクプロジェクトを取り組むことと、 1月15~16日にかけて「震災とアスベストホットライン」を取り組むことを紹介した。
マスコミの関心も高く、讀賣新聞・日本経済新聞・神戸新聞・毎日新聞が会見内容を報じた。また共同通信が配信したことより、河北新報・千葉日報・埼玉新聞・愛媛新聞にも掲載された。そして地元のサンテレビは当日夕方のニュースで取組みを報じ、現在もYouTubeで視聴することができる。
*https://sun-tv. co. jp/suntvnews/news
♦能登半島地震の発生
2024年1月1日、午後4時10分頃、最大震度7の揺れを観測する能登半島地震が発生した。テレビ画面からは、能登半島全域で家屋が倒壊している様子や火災が発生した「輪島朝市」の周辺の映像が次々と映し出され、阪神・淡路大震災を経験した私たちは当時の記憶が想起された。
今回のプロジェクトの活動を開始するにあたり、昨年より被災地NGO協働センター(神戸)、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク・東京)、レスキューストックヤード(愛知)、日本財団災害対策事業部(東京)の皆さんとそれぞれ意見交換を行ってきた。ボランティアの方々は、災害が発生した際に被災者(地)支援のため被災現場に入るわけだが、アスベストの危険性に関する認識は低い。被災者を支える活動を行うと共に、被害に遭った建物の床や壁材を剥がす作業や壊れた建材を片付ける作業も行う。
ボランティア団体の方々との意見交換の場で、阪神・淡路大震災後に、アルバイトとして倒壊した建物の解体工事補助を約2カ月だけ従事した方が中皮腫を発症した事例や、警察官が被災地を約2か月警らしたことでアスベストにばく露し中皮腫を発症した事例があることを伝えると、自らの体験を重ねながら驚かれていた。また、被災者の方々の支援を行っている場面でも、近くで解体工事が行われていたり、避難所に指定されている直ぐ近くに災害瓦礫の仮置き場が設けられていることがあると話されていた。
近年、大雨や台風による災害が増えており、その度にボランティアの皆さんが被災地に駆けつけることが増えている。その「善意」が 20年後、30年後に二次被害に遭う事態はなんとしてでも避けなければならない。プロジェクトとして、今回の能登半島地震の被災地に対して、私たちにできる支援の取り組みを検討したい。
♦人と防災未来センターを訪問
今回のプロジェクト内容を具体化する議論のなかで、「阪神・淡路大震災 人と防災未来センター」での資料調査が話題となった。そして施設を訪問したことが無いメンバーからの要望もあり、 1月13日の午後に施設を見学し保存されている資料の閲覧をおこなうツアーを実施した。
当日の参加者は18名であった。13時30分に現地に集合し、常設の展示が行なわれている西館を見学した。4階の「震災追体験フロア」、3階の「震災の記憶フロア」、2階の「防災・減災体験フロア」を約90分かけて見学した。
その後、15時に5階の資料室に移動し保存されている資料の閲覧をおこなった。あらかじめ「ひとぼう」の検索システムにより、保存されている資料を「アスベスト」名で検索したところ52件がヒットした。その全てについて資料閲覧申請をおこなったところ、会議室に資料が準備されていた。
震災当時に活動されていた「アスネット」「被災地のアスベスト対策を考えるネットワーク」の取組みが分かる資料や行政資料、新聞記事を閲覧することができた。また、資料室にもアスベスト対策や飛散に関する冊子や本も所蔵されており、引き続き資料室の活用を考えている。
♦2024マスクプロジェクト
そして今年も、1月14日に、神戸・三宮において「地震・石綿・マスク支援プロジェクト」を取り組んだ。街頭でチラシと冊子を配布しながら、アスベストの危険性や防塵マスクの大切さをマイクで訴えた。当日は、当センターの多くの会員、中皮腫・アスベスト疾患.患者と家族の会の皆さん、そして東京労働安全衛生センターやアスベストセンター、アスベストリスクコミュニケーションPJの皆さん方も駆けつけ、総勢40名で活動を行った。
震災を体験していない若い世代が増えているが、漫画で描かれた「震災とアスベスト」の冊子は子供たちも関心を示し受け取ってくれた。年配の方は、「当時は埃っぽかったが、なかなかマスクが手に入らなかった」「アスベストの事が言われていた記憶はあるが、そんなに怖いものとは知らなかった」等々と声をかけてくれる人もいた。
当日は、兵庫県のマスコットキャラクターのはばタンも応援参加し、特に子供さん達や女性に大人気で、チラシや冊子の受け取りも良かった。
また、能登半島地震の被災地へ届けるために義援金の受付箱も準備した。多くの皆さんのご協力で、1時間半の短い時間ではあったが、23, 137円が集まった。義援金は、翌日、日本赤十字社を通じて被災地へ届けた。
♦震災とアスベストホットライン
今回のプロジェクトでは、阪神・淡路大震災後に、被災地で復旧・復興作業に従事された労働者の方々や、ボランティアとして被災地で活動された皆さんから、当時の作業状況に関する貴重な経験を聞き取り、記録に残す活動を行う。そのため、阪神・淡路大震災時の様子を話していただける方を一人でも多く募るため、 1月15~16日の=日間「震災とアスベストホットライン」を開設した。
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・警察官として交通規制や警備の業務を、震災直後から3月までおこなった。当時は埃が大量に舞っており、マスクは支給された厚めのモノを使用していたが、 1 ~ 2日で真っ黒になった。カッターシャツも真っ黒になる状態だった。
・自宅で被災し1週間自宅待機。動いている J Rとバスを乗り継ぎ出勤したが街中ホコリだらけだった。郵便配達の仕事をしていたが、マスクは手に入らないし、局からの支給も無かった。その中で郵便の配達や集荷の業務をおこなった。上司からは安全対策について何も指示がなかった。
・自宅が損壊し、子供を実家に避難させたが、 10歳と8歳の子どもの入学のため、3月からは避難所からプレハブの校舎に通学させ、放課後は公園のテントに開設された学童に通わせた。子どもたちは埃が舞う中で通学していた。マスクは無かった。子どもたちは社会人となり孫もできたが、健康が心配。ぜひマスクを備蓄して欲しい。
・自宅が半壊し、水もガスも出ない状態。税理士事務所に勤務していたので、取引先の安否確認や提出資料の作成のため、6月頃まで被災地を回っていた。現在、医師から間質性肺炎の疑いと言われ経過観察中。震災の影響だろうか。
.震災当時、瓦礫の中でマンションや一般住宅、工場等の通電確認や送電のための作業を行った。マスクは誰も着用していなかった。1年程経ってから、会社から普通のマスクが配布された記憶がある。アスベストに対する危険性の認識はなく、周囲でもそれほど騒がれていた記憶がない。健康状態に不安。
相談者の方からは、今後インタビューの許可を得た方も多く、引き続き貴重な経験談を記録に残したいと考えている。
♦第1回実行委員会
今年は年明けに能登半島地震が発生したが、地震大国・日本では、甚大な被害をもたらす新たな地震がいつどこで発生してもおかしくない。
今回のプロジェクトでは、阪神・淡路大震災におけるアスベスト問題に焦点を合わせながら、災害とアスベストというテーマで調査・研究を進め、今後の災害に活かすため、記録に残す活動をおこなう。また、今年の防災の日(9月1日)や来年の1月にはシンポジウムを開催し、調査・研究内容を発表する予定である。そのため、多くの方の協力が必要であり、今回のプロジェクトは実行委員会形式で取り組むことにした。
実行委員会の呼びかけ人は、伊藤明子さん(大阪アスベスト弁護団)、中地重晴さん(熊本学園大学・社会福祉学部)、原口 剛さん(神戸大学・人文学研究科)、南 慎□郎さん(立命館大学・政策科学部)の4名である。
第1回実行委員会を2月9日に開催する。その後、改めプロジェクトヘの賛同の呼掛けを行うのでご協力をお願いしたい。