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悲惨な事故に遭遇しPTSDを発症
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介護施設で働くAさん(島根県)から相談の電話が入ったのは、2020年の秋でした。
「精神疾患を発病し、労災申請をしたが認められなかった。主治医が相談機関を色々と調べてくれて、『ひょうご労働安全衛生センターに相談してはどうか』と言われた」そうでした。
Aさんは、2019年7月、施設の利用者を迎えに自宅を訪間したところ、給死をはかったBさんを発見したのでした。Aさんは、Bさんの救助を行なうと共に救急隊が到着するまでの間に救命活動を行なったのですが、残念ながらBさんは搬送先の病院で亡くなられました。
この体験によって、Aさんは過覚醒やフラッシュバックが出現するようになり、医療機関を受診したところ、
「外傷後ストレス障害」と診断されました。Aさんは、発病の原因について、この悲惨な事故に遭遇し体験した出来事によるものと考え、2020年5月に松江労働基準監督署(以下、松江署という)に療養補償の請求を行ないました。ところが、同年 10月下旬に、「精神障害を発病させる強い心理的負荷が認められない」との理由で請求は不支給とされたのでした。
そこで、労安センターとっとりの笠見さんにも協力を得ながら、審査請求を行いました。
♦ Aさんが体験した出来事
審査請求にあたり、改めてAさんに当日の出来事を詳しく話してもらいました。その内容は次のとおりです。
私が送迎の定刻である10時に部屋に入ってみると、窓側のカーテンが閉められ、Bさんの姿が見えなかった。どこに行っただろうとベッドに近寄ってみると、ベッドと平行の状態で床に倒れているところを発見した。一見しただけでは何が起きているのか事態が把握できなかった。ベッドから車いすへの移乗の際に床に落ちて、気を失っているようにも見えたので、もう少し楽な姿勢にさせようと体を持ち上げてみると、首のところだけが動か
ず、よく見ると蛍光製の紐が首に巻き付けられ、ベッドの柵に結ばれていた。
「自殺だ」と状況が飲み込めた瞬間に「どうすればいいんだ」「家族になんて説明するんだ」などと色々な事が頭のなかで錯綜し、「冷静になれ」と何度も自分に言い聞かせたが、オロオロするばかりだった。
所長に緊急事態だと連絡し、応援をお願いした。そして紐を解こうとしたが、介護用ベッドの柵に手ではほどけないほど固く結ばれていたので、切断できる刃物を探した。台所から包丁を持ってきて紐を切った。再度体を持
ち上げたが、それでもまだ動かず、あらためて見るとさらに巾着袋が首に巻き付いて、柵に結び付けられてあった。それもまた首に食い込むように巻かれていたが、なんとか手でほどいて、ようやく楽な姿勢で横たわらせる
ことができた。それから救急通報をした。その後は電話口の隊員に命じられるままに、駆け付けた所長と交代しながら心臓マッサージを必死に続け、一時も早い救急隊の到着を待った。
救急隊員の到着後も、隊員に「手伝ってもらえますか?」と声をかけられ、救命活動の一部を担わされ、Bさんの頭を真下に見るような位置で点滴を持ち続け、Bさんは病院に搬送されていった。一旦施設に戻ったが、警察による現場検証が行なわれ、その場に立会い、朝の10時に到着してからのことを聞かれた。部屋のなかの配置、利用者がどういう状態で倒れていたのかなどなど。自分は第一発見者ということで、許可が出るまでは別室で待機するよう指示され、現場検証は16時頃までかかった。待っている間に遺書が巾着袋の中から見つかり、内容を見せられた。
紐を全部取り外したときにうめき声のような声色を聞き、「まだ生きてる?」「助かる?」と希望を抱いたこと、救急隊が到着するまでの心臓マッサージで感じたぬくもりの生々しさ、救急隊が到着してからも、言われるままに手伝った時の緊張感、何とか助かってもらいたいという願いを持ちながら病院に搬送されていく情景、そしてその希望がかなわなかったことを知らされたときの絶望感、警察による現場検証で巾着袋から発見された遺書を見た時のくやしさ、無念さは、筆舌に尽くしがたいものがある。
♦負荷表の機械的な当てはめ
精神障害の労災認定においては「心理的負荷評価表」(以下、「負荷表」という)が用いられます。「悲惨な事故や災害の体験、目撃をした」の強度は「中」ですが、強になる例が示されています。
負荷表においては「強」になる例として、「多量の出血を伴うような事故等特に悲惨な事故」と記されています。そのため、松江署の評価は、大量の出血の有無が悲惨な事故であるか否かを判断する基準として調査が行な
われました。その判断は悲惨な事故を一面的に捉えたものでしかありません。そもそも、綸死による出血など想定し難いのです。
そして松江署は、「利用者は発見された時に血を吐いたりすることもなく、顔色も普通である」と判断し、「悲惨な状況下であったとまではいえない」と評価しました。松江署のAさんへの聴取内容を見ても、給死した利用者の顔色を「普通」であったとは一言も述べていません。蛍光テープと巾着袋の紐により、二重に頸動脈を圧迫させ、給死を図った人の顔色が普通であったと判断すること自体が、調査不足、聴取不足そして見識不足を物語っています。
「心理的負荷による精神障害の認定基準」では、「具体例はあくまでも例示であるので、具体例の『強』の欄で示したもの以外は『強』と判断しないというものではない。」と記されています。本来、総合的に判断すべきな
のに、松江署は機械的な当てはめしか行なっていません。
そもそも松江署が、Aさんから聴取した聴取書の内容は57項あるのですが、そのうち綸死を図った利用者との遭遇や救助活動及び救命活動に関する項目は13項目しかなく、全体の2割強でしかありません。本件の一番重要な部分に対する聴取が明らかに不足しているのです。
♦ 「修正する事実は認められない」
審査請求においては、本人の記憶に基づく詳細な当日の様子や、主治医の意見書を提出しました。
しかし審査官は、2021年11月1日付の決定書において「棄却」と判断しました。決定書の結論部分には、「本件は、一見して凄惨な給死の現場であったとは言えないものの、悲惨な状況に遭遇し、発見後の救助、救命活動中も同様な状況にあったものと考えるが、この一連の出来事において、際立った異様性や恐怖感があったとして、心理的負荷の強度を修正すべき事情は見当たらない。」と書かれていました。
再審査請求も行ない、審理期日においては Aさんも東京まで出向き、審査員の前で体験した出来事を訴えたのでした。しかし、審査会は本年8月19日付の裁決書で、またしても「棄却」と判断しました。裁決暑によると、
「悲惨な状況に遭遇し、救助、救命活動の体験をしたことが認められるものの、…心理的負荷の強度を修正するまでの事情は見当たらないので、その心理的負荷の強度は「中」とするのが相当である。」との見解が示されて
いました。
Aさんの所属する施設の所長は、松江署の聴取において、「私は、これまで利用者を訪問した際などに利用者が亡くなっている場面に遭遇したことは何度かありましたが、利用者が自死している現場に遭遇したのは初めてのことでした。亡くなった人に遭遇すること自体については普段から覚悟していますが、自死ということ自体がショックでした」と述べています。経験豊富な所長であっても大変ショックな出来事なのです。
介護員を長く勤めてると、利用者の死は必ず直面することになります。利用者の死を看取ることは、介護員の感情を大きく揺り動かす感情労働です。利用者が息を引きとるその場にいなかったとしても、親身になって毎日介護していた相手が、亡くなられたとなると、その悲しさや喪失感は計り知れません。しかも、「理想的な看取り」とはかけ離れた利用者の自殺という体験は、介護員にとって最もストレスの高い出来事なのです。この事実がなぜ正当に評価されないのでしょうか。
♦認定基準検討会の動き
現行の精神障害の労災認定基準が策定されてから約10年が経過し、現在、認定基準に関する専門検討会が開催されており、本年9月20日に開催された検討会は第7回目でした。厚労省の間題意識は、請求件数が増加する中で、今後さらに請求件数の増加が予想され、平均処理期間を短縮するために、審査の迅速化、効率化を如何にして図るのかという点にあるようです。
処理の迅速化は必要ですが、負荷表への機械的な当てはめが行なわれたのでは、被害者の救済は進みません。検討会の動きに注目する必要があります。
Aさんからの訴え
悲惨な事故に遭遇し、精神疾患を発症
人が自殺した現場に遭遇する これまでの人生のなかで経験したことがありませんでした。そして、将来にむけても想像すらしなかったことでした。
その現場は私の脳裏に焼きつき、寝つけない夜が続きました。
高齢者施設で介護員という業務に就いていましたから、急病や不慮の事故など不測の事態を想定し、備えておくことは当然のことと思っていました。しかし、前々日、自殺した利用者自身の誕生パーティーがあり、他の利用
者とともに歌ったり踊ったりして楽しく過ごしたその本人が自死するということなど、誰が予想できるでしょうか。
「このままでは体が壊れてしまう」と思い、精神科を受診。当初、施設のオーナーも労災申請に協力的で、また、主治医もいくつもの論文や資料を収集し、労災認定のために尽力してくださいました。そして、ひょうご労働安全衛生センターを紹介していただきました。
申請にあたっての労基署の聞き取りは紋切り型で、いまにして思えば結論が先にありきの事案だったことが伺えます。マニュアルに沿った調査しかなされず、申請棄却の判断のなかでは、私の主張には一切触れることもなく、また、その後に続く審査請求と再審査請求の判断理由もそこから一歩も踏み出すこともなく、私の思いに寄り添う判断がされることはありませんでした。残念で仕方ありません。
生活保護制度は、就業意欲がありながらも仕事に就けない労働者を一時的に救済するためにあるものです。精神障害における労災制度もまた同様に、一定期間の療養を保障することで再スタートがはかれるようにするべきも
のだと思います。いったい誰のための救済制度なのか、憤りすら感じます。
私は棄却という結果は残念でしたが、ひょうご労働安全衛生センター事務局と笠見さん(労安センターとっとり)のご支援で思いの丈を展開できたと満足しています。私の場合、類似するような事案には活かせるようなものではないだろうと思っていますが、僅かでも何かしらお役に立つことがあれば幸いに思います。
大変ありがとうございました。