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アスベスト・中皮腫・肺がん・じん肺

最近のアスベスト相談事例から

2025/09/22
当センターヘの相談は、昨年1年間(24年 4月~25年3月)で138件あった。これ以外にもハラスメントやアスベストをテーマにしたホットラインを設けており、当センターが対応した相談は年間で200件を超えている。
相談内容で多いのはハラスメント関係とアスベスト関係である。そこで今回、最近のアスベスト相談に関する事例について紹介する。


◆「アスベストがハイゴンシテ」【島根県】
島根県在住のAさん(73歳)は長年に渡り大工として働き、2023年末に医師から「中皮腫というアスベストが原因の病気です」と伝えられた。しかし医療機関からは労災補償等の情報は全くされなかった。
Aさんの弟さんが新聞を見てホットラインに相談され、さっそく面談へ。 「当時はアスベストが危ないなど聞かされておらず、マスクもせずに作業をしていた」 「最近になってアスベストがはいごんするようになってきた」とAさんは言われた。 
「はいごん」とは土地の言葉で「さわぐこと」という意味で、石綿の危険性が認識されたのは最近のことであると話された。被災者の勤め先の協力を得て、本年6月4日に松江署から業務上認定を受けたが、残念ながらAさんが旅立たれた後だった。


◆石綿手帳による検診を受けていたが手続きをしていない【長崎県】
「父は造船所に勤務し、石綿健康管理手帳の交付を受けて定期的に検査を受けていた。石綿手帳の検査で肺がんが分かり、2020年2月に死亡した。医師から肺がんとアスベストとの関係について聞いておらず、補償に関しても何も手続きをしていない」という相談が寄せられた。
そこで、石綿手帳や病院の医療記録、胸部画像を取り寄せたところ、アスベスト特有の所見(胸膜プラーク)が確認された。しかも、石綿手帳の検査で肺がんが疑われ、自宅近くの医療機関を紹介され治療をおこなった経過が分った。石綿手帳から、造船所での作業内容が判明したため、今年5月に佐世保署へ特別遺族一時金の申請を行い、現在調査中。


◆学生時代にアルバイトで石綿吹付け作業で肺がんを発症【福岡県】
Bさん(68歳)は、同級生の父親が建設会社の役員をしていた関係で、中学校3年の春休みから、同級生らと一緒に石綿吹付け作業のアルバイトに従事。高校時代も夏・冬・春の休み期間に石綿吹付け作業のアルバイトに従事した。22歳の時に建築関係の会社で約1年半運搬作業を行い、その後はアスベストには接触しない仕事をつづけた。「昨年末に肺がんが見つかり手術をした。何か補償はあるだろうか」と相談があった。
石綿吹付け作業に従事した同級生には、既に中皮腫を発症して労災認定されている人がいることや、右綿健康管理手帳の交付を受けている方が複数名いることが判明。北九州東署に労災申請を行い、現在調査中。


◆「あなたは事業主だから労災は受けられない」【熊本県】
Cさん(75歳)は中学校を卒業後、大阪で大工仕事の修行を始める。親方の下で5年間働き、その後は父親と一緒にエ務店を営み、現在はエ務店の社長をしていた。2024年8月に中皮腫と診断され、労働基準監督署に相談に行ったが「あなたは事業主だから労災は受けられないと言われた」と相談があった。
大阪の親方は熊本の出身で、Cさんの近所からも数名が親方の元へ働きに行っていたことが分かった。大阪の親方は既に仕事を辞めており所在が分からなかったが、一緒に大阪へ働きに行った近所の人たちの協力を得て、大阪の泉大津署に労災申請。今年6月に認定された。


◆病院で出会った同僚から労災申請を薦められる【山口県】
Dさん(81歳)は、スレート板を製造する作業に約30年間従事し、退職時には右綿健康管理手帳を取得し、定期的に検査を受けていた。2023年の暮れに大腸がんが見つかり大学病院で手術を受けたが、その際に肺がんもみつかり手術を受けた。2024年秋、経過観察のため病院を受診していた際に会社の同僚に出合い、労災申請を薦められた。この同僚も石綿肺がんを発症し既に労災認定を受けていたのであった。
このスレート板を製造する会社では、既に多くの労災認定者が出ており、Dさんが取得されていた石綿健康管理手帳にも、「胸膜プラーク有」の所見が記載されていた。さっそく宇部署に労災申請を行い、現在調査中。大学病院からも、石綿肺がんに関しての補償について何の説明もなく、病院で偶然に同僚に出合わなければ申請に繋がらなかったと思われる。


◆3か月のスピード認定だが、作業内容は推認【広島県】
Eさん(77歳)は、2023年年明けに胸水貯留を指摘され経過観察中であったが、2023年 8月に胸膜中皮腫と診断された。翌2024年8月にやっと労災申請したところ、3か月後の 11月末に呉署から労災と認定された。
Eさんは会社内では電力関係の仕事を担当し、建屋内の蒸気配管等にアスベスト保温材を被覆する作業に約30年間従事した。労災の認定を受けて、建設アスベスト給付金の請求手続きを開始したが、厚労省からは「非該当」の連絡があり相談が寄せられた。
監督署の調査資料を確認したところ、既に事業所が閉鎖されているため「石綿のばく露があったものと推認される」と判断し、労災認定されていた事が判明した。監督署は約3ヶ月のスピードで労災認定したのだが、具体的な作業内容についてEさんへの聴取や調査を行っていなかった。そのため、同僚らの協力を得て、具体的な作業内容をまとめた文章を作成し、建設アスベスト給付金の請求おこない、現在審査中である。


◆海苔の養殖作業に従事されている方が中皮腫発症【佐賀県】
2021年に胸膜中皮腫を発症し、環境再生保全機構から補償を受けておられるFさん(52歳)から、「病気を発症して3年が経過し、障害年金の申請を行ったが却下された」という相談があった。
Fさんは高校を卒業後、父親と一緒に海苔の養殖業を営んでこられ、厚生年金には加入しておらず、どこでアスベストに接触したのか本人も全く記憶が無かった。
詳しく話を聞くと、海苔の養殖は毎年4月から8月はオフシーズンとなるため、若い頃に5年間ほど工務店ヘアルバイトに行っていたことが想い出された。そのエ務店は既に廃業していたが、一緒にアルバイトに行った同僚や工務店の閉鎖登記簿等を入手し、2024年10月に久留米署に労災申請。休業補償は一部が時効となったが、今年5月に労災と認定された。


◆間質性肺炎で何度も労災が認めらない【岡山県】
Gさん(75歳)は、学校を卒業後に父親が経営する左官工事を行う会社で働き始めた。 
70オ頃から咳や痰が酷くなり、病院を受診したところ間質性肺炎と診断される。Gさんは仕事が原因と考え何度か労災申請を試みるが認定されなかった。2022年の年末にも労災が不支給であるとの通知が届いたが、その年明けに肺がんが見つかった。再び労災申請をしようと考えていたが2023年5月に亡くなった。 Gさんは独身で、姪から「弁護士に依頼した が無理と言われた。労災の申請が可能か」と相談があった。
そこでGさんの姉妹名で岡山署へ労災申請手続きを行った。監督署の調査では、石綿肺は認められなかったが、胸部画像で石綿特有の所見(胸膜プラーク)が確認され、石綿肺がんとして2024年秋に労災認定された。その後、建設アスベスト給付金の請求も行い、給付を受けとることができた。


◆本人聴取なしで申請から2ヵ月で労災認定 【兵庫県】
Hさん(74歳)のご家族から、「主人が中皮腫と診断された。大工として働き会社を転々としており、会社に労災の協力を求めたが『雇用関係がない』と言われた」と相談があった。
Hさんに確認すると、学校を卒業後に父親が経営する工務店で働き始め、父親が引退後は兄が代表を務める建設会社で働き、30歳の時に独立し一人親方として大工仕事をおこなってきたことが分った。
父も兄も亡くなっていたため、兄の妻から大工仕事をしていたこと、労働者として働いていたことの証言を受け、今年1月29日に姫路署に労災申請をおこなった。Hさんが入院されていた期間と重なったのだが、本人への聴取もないまま、姫路署は3月31日付で労災と認定した。兄の妻が提出した陳述書を基に判断したスピード認定であった。


◆材木店のチップ製造作業で石綿ばく露【熊本県】
肺がんを発症し平成30年に亡くなられたⅠさん(86歳・女性)のご家族から相談があった。 
「環境再生保全機構の認定を受け、建設アスベスト給付金の連絡文章が届いた。現在申請をおこなっている。担当者から労災申請もしてはどうかと教えてもらった」という内容であった。
環境再生保全機構の審査内容を取り寄せ確認すると、「原発性肺がんで広範囲の胸膜プラーク有り」と判断されていた。
Iさんの年金記録には、食品製造会社と木材加工会社名が記載されていた。木材加工会社は既に廃業となっていたが、社長の奥様から話を聞くことが出来、Ⅰさんが建材店から集めた廃材を大型の機械で粉砕し、燃料用チップを製造する作業に従事していたことが判明。廃材をチップに粉砕する作業において石綿にばく露したのではないかと八代署に特別遺族一時金の請求をおこなった。この案件は本省協議となったが、「石綿ばく露を否定するのは困難と考えられ、業務上と決定していただいて差し支えありません」との回答があり、本年5月に支給が決定した。