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アスベスト・中皮腫・肺がん・じん肺
石綿肺がん 三度目の請求で労災認定
2018/08/20
◆概要
2017
年
6
月
10
日に「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会福岡支部」の設立総会を開催し、翌日に福岡市内においてアスベスト健康被害相談会を実施した。この時に、佐賀県から相談に来られたのが
A
さんであった。
A
さんのお父様(以下、
B
さん)は、戦後まもなく福岡市内のスレート製造会社に約
1
年間勤務し、その後は福岡県と佐賀県の炭鉱を転々として、
5
年弱の期間、
3
社で採炭作業に従事した。石綿健康管理手帳とじん肺健康管理手帳を取得し、定期的に健康診断を受けていたが、
2014
年
7
月に肺がんが疑われ大学病院を受診し、併せて盾津労働基準監督署に治療費についての療養補償請求を行った。
だが、
B
さんは高齢(
87
歳)のため組織診断を実施することは困難であった。そのため「現時点では、原発性肺がんとして確定診断が出来ていない」との理由で労災は不支給となった。
その後、
B
さんは
2016
年
12
月に亡くなられたが、遺言により解剖が行われ、死亡原因は肺がんと確定された。
A
さんの相談は、「父は解剖と労災認定を強く求めていた。労災が二度不支給となっているが再申請できるだろうか」との内容であった。
◆一度目の不支給
A
さんに話を聞くと、
B
さんは
2006
年秋に石綿肺と診断されたため、
2007
年
3
月に福岡中央労働基準監督署に労災申請を行ったが不支給の決定だったとのこと。そこで、幅岡署と唐津署の調査復命書を精査するため、福岡労働局と佐賀労働局に対して開示請求を行った。
復命書を見ると、
B
さんは療養補償請求を行うと共に、じん肺管理区分申請の手続きを行っていた。その結果は「管理
3
イ
PR2F(-)
」(
2007
年
8
月)であった。
労災請求に関しては、福岡の地方労災医員も「
PR2
程度の石綿肺」と認めたが、著しい肺機能障害を認めず、合併症も認められないことから、不支給と判断された。また、主治医が診断した「びまん性胸膜肥厚」については、労災医員も肥厚の厚さと拡がり共に労災認定基準を満たすと判断したが、著しい肺機能障害の所見が認められず、従事期間も
1
年であるため認定要件を満たさないと判断された。調査の結果、一度目の労災請求は、
2007
年
9
月に不支給と決定された。
◆二度目の不支給
その後、
B
さんは再度管理区分申請を行い、
2013
年
7
月に「管理
3
イ
PR2F(+)
」の決定を受けた。その際の審査結呆が復命書の調査資料として含まれているが、粒状影は
0/0
で、不整形陰影は
2/1
と判断されている。だが、じん肺健康管理手帳の粉じん作業最終事業場は、唐津市の炭鉱会社の名称が記載されていた。
労災請求に関して佐賀の労災医員は、「石灰化を伴う肥厚斑を多数認める。不整形陰影は認めない」「(画像からは)原発性肺がんに特徴的とされる所見を有していない。炎症性病態との鑑別は現時点では不可能である」「病理組織診断判明後の判断が望まれる」と意見を述べていた。
調査の結果、二度目の労災請求も
2015
年
5
月に不支給と決定された。
◆三度目の請求
B
さんが近院で肺がんの疑いと診断されたのは
2014
年
6
月
26
日で、大学病院の初診日は
2014
年
7
月
2
日であった。
A
さんから相談を受けた
2017
年
6
月時点では、傷病発生日から
3
年が経過しており、既に約
1
年分の休業補償が時効となっていた。そして毎日毎日、新たに時効を迎えようとしていた。そのため、直ぐに唐津署に出向き、休業補償の時効を止めることにした。
こうして労災請求の準備を進めていたところ、環境再生保全機構から認定の通知が届いた。
B
さんが亡くなられた後、ご遺族が申請を行っていたのであった。そこで、判定のための分科会と小委員会の議事録の関示請求を行った。議事録を見ると、「原発性肺がんはオーケー、プラークあり、広範囲プラーク」で「◎」と記されていた。病院の証明を得て、書類を準備し、唐津署に申請用紙等を提出したのは
8
月
14
日であった。
◆監督署のちぐはぐな対応
本件は労災課長の担当となったが、電話でのやり取りを繰り返すこととなった。まず、今回の請求は再申請では無く、解剖を行ったことにより前回の申請時には得られなかった新たな事実が判明したのであり、前回の不支給処分を取消すように求めた。しかし、いつも「労働局と相談する」という対応であった。
また、傷病発生日について、
B
さんが近院を受診し検査を受けた
2014
年
6
月
26
日と訴えたのだが、「前回の請求用紙には
8
月
6
日と記載されているので、同じ日にして欲しい」との連絡が入った。仮に大学病院を受診し検査を受けた日からと考えても
7
月になるはずである。
さらに唐津署は、診断確定日については解剖を実施した日であるとの見解を示した。解剖を行うまでは肺がんでは無かったとでも言いたいのだろうか。国の通達では、じん肺合併症の確定診断日の取り扱いは、「合併症に関する検査を実施した日」とされている。組織診断が実施できていなくても、画像診断や血液検査も行われているのであり、解剖実施日を診断確定日と考えるのは間違いである。
そして、
B
さんは大きなプラークがある石綿肺の事案なので、石綿にばく露した最終事業場の管轄である福岡中央署に移送するとの連絡があった。二度目の不支給処分の際に、佐賀労災医員の意見をもとに、不整形陰影を認めず、じん肺管理
3
イの被災者が合併症としての肺がんを発症した事案として処理したにも関わらずである。さすがに福岡中央署に移送するとなると二度目の申請時の調査と判断を署自体が誤りと認めることになるためだろうか、最終的には唐津署で判断することとなった。
監督署のちぐはぐな対応が続いたため、全国安全センターが実施した厚生労働省交渉の要求課題に取り上げてもらった。また、アスベストセンターの斉藤氏から本省にも働きかけを行ってもらった。
◆やっと届いた認定通知書
本年
7
月
13
日、遺族のもとに労災認定の通知が届いた。
B
さんの息子さんへの遺言は「私が死んだら解剖してはっきりさせてくれ」だった。
A
さんは、父から「労災と認めてもらうため頑張れ」の言葉をかけられたという。
B
さんが、最初に福岡中央署に労災申請を行ってから、実に
11
年後の労災認定の通知である。
本件において、福岡局の地方労災医員と佐賀局のじん肺審査医、地方労災医員の読影の違いが、署の判断のちぐはぐさに影響しているのではないだろうか。
また
B
さんは、二度目の申請の際に署の聴取に対して、「咳と痰がでる。特に朝が酷くなってきた。痰はこのごろ緑色がついてきている。歩くのも大変で、医大では車いす移動である」と訴えている。署は何故、痰の検査や肺機能の検査を求めなかったのであろうか。
B
さんの無念さは、今回の労災認定で本当に晴れたのであろうか。
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2017年6月10日に「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会福岡支部」の設立総会を開催し、翌日に福岡市内においてアスベスト健康被害相談会を実施した。この時に、佐賀県から相談に来られたのがAさんであった。Aさんのお父様(以下、Bさん)は、戦後まもなく福岡市内のスレート製造会社に約1年間勤務し、その後は福岡県と佐賀県の炭鉱を転々として、5年弱の期間、3社で採炭作業に従事した。石綿健康管理手帳とじん肺健康管理手帳を取得し、定期的に健康診断を受けていたが、2014年7月に肺がんが疑われ大学病院を受診し、併せて盾津労働基準監督署に治療費についての療養補償請求を行った。
だが、Bさんは高齢(87歳)のため組織診断を実施することは困難であった。そのため「現時点では、原発性肺がんとして確定診断が出来ていない」との理由で労災は不支給となった。
その後、Bさんは2016年12月に亡くなられたが、遺言により解剖が行われ、死亡原因は肺がんと確定された。Aさんの相談は、「父は解剖と労災認定を強く求めていた。労災が二度不支給となっているが再申請できるだろうか」との内容であった。
◆一度目の不支給
Aさんに話を聞くと、Bさんは2006年秋に石綿肺と診断されたため、2007年3月に福岡中央労働基準監督署に労災申請を行ったが不支給の決定だったとのこと。そこで、幅岡署と唐津署の調査復命書を精査するため、福岡労働局と佐賀労働局に対して開示請求を行った。
復命書を見ると、Bさんは療養補償請求を行うと共に、じん肺管理区分申請の手続きを行っていた。その結果は「管理3イPR2F(-)」(2007年8月)であった。
労災請求に関しては、福岡の地方労災医員も「PR2程度の石綿肺」と認めたが、著しい肺機能障害を認めず、合併症も認められないことから、不支給と判断された。また、主治医が診断した「びまん性胸膜肥厚」については、労災医員も肥厚の厚さと拡がり共に労災認定基準を満たすと判断したが、著しい肺機能障害の所見が認められず、従事期間も1年であるため認定要件を満たさないと判断された。調査の結果、一度目の労災請求は、2007年9月に不支給と決定された。
◆二度目の不支給
その後、Bさんは再度管理区分申請を行い、2013年7月に「管理3イPR2F(+)」の決定を受けた。その際の審査結呆が復命書の調査資料として含まれているが、粒状影は0/0で、不整形陰影は2/1と判断されている。だが、じん肺健康管理手帳の粉じん作業最終事業場は、唐津市の炭鉱会社の名称が記載されていた。
労災請求に関して佐賀の労災医員は、「石灰化を伴う肥厚斑を多数認める。不整形陰影は認めない」「(画像からは)原発性肺がんに特徴的とされる所見を有していない。炎症性病態との鑑別は現時点では不可能である」「病理組織診断判明後の判断が望まれる」と意見を述べていた。
調査の結果、二度目の労災請求も2015年5月に不支給と決定された。
◆三度目の請求
Bさんが近院で肺がんの疑いと診断されたのは2014年6月26日で、大学病院の初診日は2014年7月2日であった。Aさんから相談を受けた2017年6月時点では、傷病発生日から3年が経過しており、既に約1年分の休業補償が時効となっていた。そして毎日毎日、新たに時効を迎えようとしていた。そのため、直ぐに唐津署に出向き、休業補償の時効を止めることにした。
こうして労災請求の準備を進めていたところ、環境再生保全機構から認定の通知が届いた。Bさんが亡くなられた後、ご遺族が申請を行っていたのであった。そこで、判定のための分科会と小委員会の議事録の関示請求を行った。議事録を見ると、「原発性肺がんはオーケー、プラークあり、広範囲プラーク」で「◎」と記されていた。病院の証明を得て、書類を準備し、唐津署に申請用紙等を提出したのは8月14日であった。
◆監督署のちぐはぐな対応
本件は労災課長の担当となったが、電話でのやり取りを繰り返すこととなった。まず、今回の請求は再申請では無く、解剖を行ったことにより前回の申請時には得られなかった新たな事実が判明したのであり、前回の不支給処分を取消すように求めた。しかし、いつも「労働局と相談する」という対応であった。
また、傷病発生日について、Bさんが近院を受診し検査を受けた2014年6月26日と訴えたのだが、「前回の請求用紙には8月6日と記載されているので、同じ日にして欲しい」との連絡が入った。仮に大学病院を受診し検査を受けた日からと考えても7月になるはずである。
さらに唐津署は、診断確定日については解剖を実施した日であるとの見解を示した。解剖を行うまでは肺がんでは無かったとでも言いたいのだろうか。国の通達では、じん肺合併症の確定診断日の取り扱いは、「合併症に関する検査を実施した日」とされている。組織診断が実施できていなくても、画像診断や血液検査も行われているのであり、解剖実施日を診断確定日と考えるのは間違いである。
そして、Bさんは大きなプラークがある石綿肺の事案なので、石綿にばく露した最終事業場の管轄である福岡中央署に移送するとの連絡があった。二度目の不支給処分の際に、佐賀労災医員の意見をもとに、不整形陰影を認めず、じん肺管理3イの被災者が合併症としての肺がんを発症した事案として処理したにも関わらずである。さすがに福岡中央署に移送するとなると二度目の申請時の調査と判断を署自体が誤りと認めることになるためだろうか、最終的には唐津署で判断することとなった。
監督署のちぐはぐな対応が続いたため、全国安全センターが実施した厚生労働省交渉の要求課題に取り上げてもらった。また、アスベストセンターの斉藤氏から本省にも働きかけを行ってもらった。
◆やっと届いた認定通知書
本年7月13日、遺族のもとに労災認定の通知が届いた。Bさんの息子さんへの遺言は「私が死んだら解剖してはっきりさせてくれ」だった。Aさんは、父から「労災と認めてもらうため頑張れ」の言葉をかけられたという。Bさんが、最初に福岡中央署に労災申請を行ってから、実に11年後の労災認定の通知である。
本件において、福岡局の地方労災医員と佐賀局のじん肺審査医、地方労災医員の読影の違いが、署の判断のちぐはぐさに影響しているのではないだろうか。
またBさんは、二度目の申請の際に署の聴取に対して、「咳と痰がでる。特に朝が酷くなってきた。痰はこのごろ緑色がついてきている。歩くのも大変で、医大では車いす移動である」と訴えている。署は何故、痰の検査や肺機能の検査を求めなかったのであろうか。Bさんの無念さは、今回の労災認定で本当に晴れたのであろうか。