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広島県内の造船所において、鉄鋼溶接職として約17年間勤務したAさん。退職後の2002年に肺がんを発症し、同年8月に右肺の上中葉切除術を行った。その後の経過は良く、2007年9月に主治医から「治癒」と診断された。
治癒後の2007年10月末、勤務していた会社からAさんの元に「石綿による疾病に係る健康相談窓口のお知らせ」との手紙が届いた。「過去に石綿製品を取り扱っていたので、健康管理手帳や労災申請手続きのサポートを行う窓口を開設した」とのお知らせであった。早速会社の相談窓口に連絡すると、2008年2月末に集団相談会を実施するので参加するようにとの指示であった。
相談会では石綿健康管理手帳の取得をアドバイスされ、手続きを行った結果、2008年5月に手帳が交付された。この時点でも休業補償の請求権は存在していたが、会社も労働局も労災制度に関する説明を行わなかった。手帳を交付されたAさんは、2008年12月に呉市の中国労災病院において初めての健康診断を受けた。その際に、医師の勧めで石綿小体計測を行ったところ、2009年2月に結果が出た。乾燥肺1gあたり25,805本。石綿肺がんの認定基準とされている5,000本の5倍の数の石綿小体が計測されたのであった。
中国労災病院の医師の勧めもありAさんは労災の手続きを行うことにした。会社の証明を得て、休業補償と療養補償の請求を広島中央労働基準監督署に提出したのが、2009年3月27日であった。ところが、広島中央署の窓口で対応した職員は、「時効です。ガンが再発した時に来て下さい」と言って、請求を受け付けなかった。広島中央署は丁寧に、翌日会社にも電話を入れ、「時効なので給付は困難です」と話しており、この事実は会社の記録に残っている。
Aさんが主治医から治癒と診断されたのは2007年9月であり、なぜ2009年3月27日の時点で時効を迎えているのか?そもそも申請を受け付けず、調査もしないで追い返すこと自体が大問題である。病院の医師からは労災申請を勧められ、労働基準監督署に行けば「時効」だと追い返されたAさん。その後は、石綿健康管理手帳による健康診断を年2回定期的に受診していたのであった。
◆呉での相談会から企業交渉ヘ
アスベストユニオンは、毎年年明けに定期大会を開催し、合わせてアスベスト健康相談会を実施している。2015年は、1月17日に広島県呉市において相談会が開催された。相談会の開催を紹介する新聞折り込みのチラシを見たAさんの奥様と娘さんが、相談会に来られた。当時Aさんは、誤嚥性肺炎を発症し中国労災病院に入院されており、代わりにご家族がこれまでの経過について話されたのであった。
そして、「現在入院中だが、何か補償はないのか」という相談であった。色々とお持ちの資料を拝見すると、石綿小体の計測記録があり、原発性肺がんで石綿小体の数も25,000本を超えており、労災認定基準をクリアすることができる案件であることがすぐに理解できた。しかし、労災請求においては時効の壁が大きく立ちふさがり、石綿健康被害救済法においても「治癒」しているため、何も補償を受けることができない状態であった。『もっと早く相談会に行っていれば…』と、とても悔やまれた相談であった。
◆企業の補償交渉へ
Aさんが勤めていた会社は、石綿被害者に対する補償制度を設けていることが知られていた。そこで、Aさんに全日本造船機械労働組・日本鋼管分会に加入してもらい、組合を通じて会社との補償交渉を行うことにした。
組合は会社に対して、退職者に対するアスベスト健診や労災申請手続きに関する周知が遅れた点や、平成20年2月の相談会や平成21年3月の労災申請の際に的確なアドバイスが無かったがために時効を迎えたことを追求した。
数回の交渉を経て、会社側から「Aさんが発症した肺がんが業務上の災害と認められるなら補償の対象である」との回答があった。
そこで、Aさんが平成14年に発症した肺がんは業務に起因したものであること、肺がんで右肺を切除したことにより誤嚥性肺炎を起こしたものである、として広島中央労働基準監督署に休業補償請求を行うことにした。
◆労基署の判断
約半年の調査を経て、広島中央署から「不支給」の通知が届いた。そのハガキには、「平成14年に発症した肺がんは業務による石綿ばく露が起因して発症したものと認められる。しかしながら、平成27年1月に発症した誤嚥性肺炎については、医学的所見より業務上の疾病とである肺がんとの因果関係が認められないと判断され、誤嚥性肺炎にかかる本件請求は不支給とします。」との理由が書かれていた。
ご家族としては術後の肺機能低下が誤嚥性肺炎の原因と考えられていたので、監督署の不支給理由は納得のいくものではなかった。が、会社との交渉を優先することとなった。会社からは、休業補償の請求が不支給であっても、平成14年に発症した肺がんが業務上の疾病と認められたことを重視し、企業補償の対象であるとの見解が示されたのであった。
◆問題点と課題
残念ながらAさんは、労災申請の結果も会社からの回答も聞くことなく他界された。常にご家族のことを気にされていただけに、無念な思いが残ったのではないだろうかと気にかかる。
会社が適切なアドバイスを行っていたら、石綿肺がんとして労災認定を受けていたはずである。そして何よりも、広島中央署の対応は理解に苦しむものである。労基署自らが労災申請を妨害したと考えられる対応である。たとえ治療が終了していても、休業補償請求の一部は時効の対象になっていないし、右肺の切除術を行っているので障害等級の認定を受けることも可能であったはずである。また法の不備もある。アスベスト被害による死亡は、救済法により時効なしで補償を受けることができる。しかし、療養が終了し生活されている方は全く補償の対象外となっている。アスベスト被害者の救済において、まだ隙間は残っているのである。